平成24年11月

  「古事記」
池田 憲夫
 最近は、私は、古事記にはまっています。ただ、なかなか頭に入らず、困ったものです。
 「古事記」は、ずっと「古事記」とばかり思っていました。ところが、古事記が編纂されてから、時代時代に応じて、変遷していました。当時の政治や所謂識者によって当然自分の都合の良いように解釈されてきました。戦前もそうでした。それが、大本教事件にまで、繋がるとは、最近知りました。記紀と言われるように、「古事記」と「日本書記」が比較され、一致するところ、しないところ、一方には記載されてるが片方には、記載されていなし。記載の表示方法が異なる。私は、「古事記」が主で、日本書紀は、サブとばかり思いっていましたが、どうも、「古事記」が、サブテキストという存在と知り、驚いています。「古事記」が、表意文字で、「日本書紀」が、表音文字と言うことで、これも私は、逆に感じていました。
 現存する最古の「古事記」の写本が、名古屋の大須観音(真福寺)のものと知り、偶々、過日の懇親会の席上で、春日井市の滝本先生とそのお話となりました。もう少しゆっくりお話を伺いたかったですね。
 また、植芝盛平翁先生は、「合氣道を稽古する人は、古事記を読め。」と言うような意味の事を仰ったそうです。
 最近読んで面白かった本です。
 知れば知るほど面白い古事記
 古事記は日本を強くする
 私は、殆ど関係ないですが、これから海外に行き活躍したい人は、「古事記」を熟読して、日本人としてのアイデンティティももってもらいたいと思います。

 「   」 
弐段 保井 恒夫
 今般、池田師範はじめ、先輩の皆様に思い切り背中を押していただき、厚かましくも、弐段を受けさせていただくことになった。
50歳を過ぎて和氣会に入会、現在 早、65歳。月2?3回と少なすぎる稽古量加齢による物覚え、動きの悪さ、又2年前の病気による一年間のブランクもあり、技の習得も遅々として進まない。審査の結果はひどいものになると思うが、「合氣道は年を取っても続けられる」という言葉を信じて、気力、体力の続く限り、細く長く稽古を続けていきたいと思っている。
 今後とも皆様のご指導を宜しくお願いいたします。

 「ありがとうございます」
弐段 永井 哲
 今回、弐段審査を受けさせていただいて、自分にできていない事や自分の心の弱さを強く認識することができました。審査自体も、私にとってはとてもキツイものでしたが、フラフラになりながらも多くの方の本当の意味での思いやりや愛情を感じる事ができ、実に爽快な体験となりました。池田師範を始め、ご指導、ご助力をいただいた皆様、本当にありがとうございます。
 若い頃は分かりませんでしたが、合気道は「優しさと強さを兼ね備えた人」を育てるために本当に良くできた稽古システムであると思います。今回の審査を受けた事で、その思いが更に強くなりました。
 まだまだ未熟ですが、合気道を通じて、多くの人のお役に立ちたいと思っております。

 

 「昇級審査への意気込み」
弐級 U.K
 三級の審査から四カ月ほど経ちました。今までと違いこれからは時間にも限りがあるとのことで少し不安を感じています。技の数も段々と増えていき、それらを時間内にまとめることが今回の課題となりそうです。今までもよく言われてきた、自分から前に出ていくということを今回はより一層念頭においていきたいと思います。また、時間を気にしすぎるあまり、ひとつひとつの技が雑になったり、動きが硬く小さくなりすぎたりしないようにも気をつけたいです。他大学との合同練習で、自分と同学年の人ですでに二級である人もたくさんいたので、自分もがんばろうと思いました。前回の審査から今までの間に自分が大きく成長したという具体的な実感はありません。しかし、日々稽古してきたこと、合宿をのり越えたこと、いろいろな先輩方に指導していただいたことで、ゆるやかではあっても着実に進歩していると思います。それらすべてを今回の審査に凝縮して、納得がいくものにしたいです。

 「二級審査に向けて」
弐級 N.Y
 二級からは様々な時間制限があるということで、速さも求められているのでしょうけどもそれ以上に技の理解が見られていると考えています。身体を使うことを考えるのは勉強とはまた違い、中学校・高校とまじめに運動に向き合ってこなかった私にとってはとても難しいことで、日々考えることに苦労しながら稽古しているところです。
 今回私にとって一番の悩みどころは座技一教から四教の簡略形と技の構成です。技を簡略化するには当然もとの形をよく理解していなければいけません。正直なところ簡略形を、しかも速く行うにはまだまだ理解が不十分だと思いますが、残された期間にできるだけ練習して今できる最高の形を審査の場でできるように頑張ります。構成については今現在非常に悩んでいるところでして、自分が一つ一つの技をどう見ているかを考え直しながら順番を決めていきたいと思います。
 〈※ 簡略形でなくて、凝縮した短縮形です。編集者より)

 「審査への意気込み」
弐級 Z.M
 今回の二級審査は、紆余曲折はありましたが、多くの方々のご厚意を受けて、受けさせて頂くことになりました。12月に受けた方が良いのではないかという迷いもありました。しかし消極的になると、自分の成長はそこでとまってしまうのではないかと考え、立ち向かってみることにしました。浪人することを決めたときや、志望大学を決めた時と同じくらい、自分の決断に対する責任を感じました。今回の審査で大切にしたいのは、攻める姿勢です。取りはどんどん前に出ていくようによくご指摘を頂くのでまずその点に注意することです。そして50周年記念式典での演武を見て思ったことでありますが、どっしりと腰を据えて気持ちで負けないという態度も大事であるということです。受けの目を中心に体全体を見るようにすること、技をおこなった後も姿勢を崩さず、半身の形をしっかり安定するようにすること、残心を忘れないようにすることなどです。攻めようとして焦りすぎるのも良くありませんが、前へ攻めていく気持ちを審査では出せるようにしたいです。
 

「   」
五級 S.K
 昨年10月に合気道を始めて早一年が経ち、念願の初審査受けることが出来ました。
 スティーブンセガールに憧れ合気道を始めた私くしですが、今思うと、何とも不純なきっかけであったと恥ずかしく思います。
   本当のところ、合気道を始めた理由、
 仕事の都合で転勤した4県、行く先々で感じてましたが、心のどこかで地元の方々との出会いを求め、始めたのかも知れません。一人っきり(家族だけ)では、やはり寂しいものですから。。。
 少々脱線しましたが、合気道を始めて新たに目標が出来、知り合いも出来、タバコは止め充実した日々が過ごせております。
 今回の審査では、まだまだ稽古不足を実感致しました。私が思う合気道 ”軽やかに舞い、力強く決める”が出来ておりませんでしたので、次の四級審査の課題にしたく考えております。
 まだまだ未熟な新人ですが、今後とも皆様のご指導を頂きたく宜しくお願いします。
 

  「昇級審査への意気込み」
五級 N.K
 今回の初めての審査では、基礎の形を大切にして技を行います。特に半身について日頃から有段者の方に指摘を頂いておりますので、そこに注意して行いたいと考えております。また、常に前へ進む気持ちを持つことを意識して審査に挑みます。その上で、流れを切ってしまうことなく絶えず技をかけ続けられるようにしたいと思います。今回は五級の審査を受けさせていただくわけですが、そこに留まるのではなく、これなら次の昇級審査もきっと通過できるだろうと思っていただけるような審査内容を目指していきたいと思っております。以上のような意気込みで昇級審査に臨ませていただきます。どうぞよろしくお願い致します。

 「   」
子供の部 準五級 K.S
 広いひびきでのテストは皆に見られてる気がしてきんちょうしました。難しかったのは正面打ちさんきょうで、きめる所が相手に合わせるところが特に難しかったです。つぎは動作をキビキビしてさんきょうを上手くできるようにがんばります。

 「二回目のしんさ」
子供の部九級 K.TK
 しんさを受ける前、きんちょうしました。「はい」と大きな声をだしました。はじめに前うけみをしました。ちょっとだけむずかしかったです。
その次にうしろうけみをしました。かんたんにうしろに回れました。
つぎにしっこうをしました。うしろ足と前足をいっしょに前後するのがむずかしかったです。たいのてんかんをしました。回ってピタっと止まるのがむずかしいです。大人の人とさいごに一きょうをしました。かんたんでした。
おわったとき、やっとおわったと思いました。

 「しんさを受けて」
子供の部九級 K.TG
 しんさを受ける前からきんちょうしました。やっているときは自分でもちゃんとできるかなと思いました。たいのてんかんはやりやすかったです。おわったらスッキリしました。
 

 「二回目のしんさ」
子供の部九級 K.YT
しんさを受ける前とやっている時にきんちょうしました。とび級か一級だけ上がるか、そのままか分かりません。前うけみが一番上手にできました。
たいのてんかんがちょっとむずかしかったです。

 

 「   」
子供の部十級 S.F
ぼくは、初めてしんさをうけました。
すごくきんちょうしました。
よばれた時にきんちょうして、あまり大きな声が出せませんでした。
 後ろうけみもちょっと失敗してしまいましたけれど、あとはうまく出来たので良かったです。
次は、後ろうけみを注意してやりたいです。

 

 「   」
子供の部十級 O.S
 はじめてのしんさだったのできんちょうしました。いちばんさいしょにしたのでもっときんちょうしました。おわったらほっとしました。

 

 平成24年7月

  「豊中クラブ」
池田 憲夫
 平成六年六月に、和氣會は、正式に、財団法人合気会から、認可されました。それ以前、平成四年に、小林裕和師範のご了承を得て、大阪外国語大学体育会合氣道部創立三十周年記念式典に、当時の本部道場長植芝守央先生にお越し願って、初めてと行っても良いぐらい、関西地区での講習会を開きました。私どもには、全然本部道場とは、交流が持てませんでしたし、当然道場長とは、お話をしたこともなく、面識もございませんでした。当時、現在の大阪合氣塾の須磨さんや、外大の後輩の、野村さん(現愛結会の野村さん)が、仕事の関係で、東京におり、本部道場でばりばりと稽古していましたので、彼たちに、道場長にお願いしてくれるように、口添えを依頼しました。快諾を得ましたので、行事の進行をいたしました。合氣道部の先輩後輩、部長先生は、もとより、私は、当時は、大阪武育会所属でしたので、大阪武育会の皆様の温かいご支援、ご協力のお陰様をもちまして、成功裡にお開きとなりました。
 平成五年秋、関西学生合氣道連盟演武大会が、府立体育館にて開催され、控え室で、小林師範から、外大合氣道部を任すので、独立しては、どうか。との、お話があり、その場では、返事を出来ませんでした。持ち帰って、先輩後輩、部長先生とも相談の上、お答えします。ありがとうございます。としか、言えませんでした。その後、みなさんと相談し、独立してもよろしいとの許しを得たので、小林師範に、お願いをしましたが、翌年、いろいろとごたごたがあり、さらに淡路阪神大震災が勃発し、それどころでは、なくなりました。新学期に入り、話がとんとんと運び、独立となった次第です。
 私には、子供が三名おります。その内、二人は、地区の子供会のお世話になっていましたので、いつかは、子供会の役員をすることになる、しなければならないと、常々思っていました。その時に、知り合った方(奥さんと家内とは知り合いでした)に、稽古場所の事を相談し、岡会堂の管理責任者に会うことに出来、借りることも出来ました。ただ、毎週日曜日では、貸せない。各週にして欲しい。それでも、ありがたいことでした。仕方なく、また他の場所を探しました。豊中駅近くに、鹿鳴館時代を彷彿される建物があり心惹かれました。今度は、子供の同級生のおじいちゃんが、その地区の総代をしていることが解り、そのつてで、隔週土曜日に借りることが出来るようになりました。ただ、畳がありません。どこかで手配をしなければなりません。資金的に余裕があれば、なんでも出来るのですが、そうは参りません。仕事の関係で、私立の大阪電気通信大学高校の柔道の先生と懇意にさせていただ事になりました。学校の道場の畳を新調すると知りましたので、分けて頂けないかお願いしたところ、お許しを戴けました。確か、現日高道場の熊谷さんが、大阪での稽古場を作ることになり、同じように、畳が必要となり、和大の後輩の飯尾(現長崎気和会)や、大阪合氣塾の須磨や、川村君もタイミング良く、畳を必要とする時期でしたので、大助かりでした。私は、子供会で知り合った畳屋さんに軽トラックをお借りして、高校まで引取に伺い、そのまま、豊中クラブへ、搬入しました。良い運動をなりました。それから、十八年ほど、お世話になりました。戴くまで恐らく、二十数年は、使われていたはずですので、いまや、年代物の藁床でした。重いです。毎回敷いては、片付けをしましたので、痛み方が激しかったですね。あちこちテープで補強され、痛々しかったです。 
 豊中クラブを諦めることにし、今度は、畳の処分の問題が出てきました。市の環境局や市のクリーンセンターに相談しましたが、環境局では、受け付けない。クリーンセンターでは、藁床なら、引き受けるが、半分以下に切って、何度かに分けて持ち込むように言われました。25枚を素人が斬れるはずがありません。また、前述の畳屋さんに相談したら、任せておけ、ちゃんとしてあげる。と嬉しいお言葉を頂戴しました。一安心です。後は、いつ搬出するか。畳屋さんは、午前中が望ましいとの事。息子が帰省する日の午前中に決めました。そういえば、最初は、火曜日の夜は、豊中クラブで稽古をしていました。殆どが剣や杖でしたが。帰宅してから畳を敷いていたのでは、遅くなるので、当時中学生だった息子に、畳敷きのバイトをしてもらっていたことを思い出しました。パズルのような畳の敷き方が上手でした。今じゃ、菅崎さんが、綺麗に敷いてくれました。その息子が、畳の搬出に出会わすとは、なかなかのものです。戸倉さん、Yさんにもお願いしましたらお忙しい中を来て下さいまして、汗をかいて頂きました。ありがとうございました。
 いろいろな方々とのつながりで、つつがなく、畳を頂戴することが出来、廃棄することも出来ました。普段のひとびととの交流(いやいやながら役目をすることなく、積極的にかかわる)事の重大さに、今更ながら、感じている今日この頃です。
 畳にも感謝です。

 「   」
弐段 小田 正樹
 私はこれまで合氣道を忘れない程度に続けてきました。好きでやっていることで、「昇段しなければ」といった気持はなかったのですが、最近いわゆる「ユーチューブ」等で合氣道の動画を見て、その動きの美しさに改めて魅かれると共に、結構お年をめされた方であっても素晴らしい演武をされているのに感心してしまいました。
 たまに稽古に行くと運動不足により思ったように動けず、やはりちゃんと目標を持って取り組まなければ、「あの様にはできない」と思い、改めて目標を持って取り組んでみようと思い立った次第です。
 今後もマイペースになろうかとは思いますが、豊中和氣會の稽古も続けさせていただきたく、稽古の際には宜しくお願い致します 

 「稽古」
弐段 太田 周志
 今回、弐段審査を受審させていただくにあたり、一番苦労した点は、稽古する時間が限られていることでした。学生時代よりも、稽古する時間が限られており、あと何時間といった具合に明確に少なくなってきています。そこで、私は限られた時間の中でも、稽古を続ける方法、合氣道と付き合っていく方法を模索しました。
 私が行った方法は、こまぎれの時間を見つけて、一人で自由技の稽古を行うことでした。動きが止まらず、続けて技が出るように、頭の中で次々と技が思い浮かばなければなりません。しかし、はじめはまったく技が出てきませんでした。忘れないよう技についてまとめたノートを見かえして、記憶を呼び起こしてみてはまた一人の自由技を行いました。そうすると、技の共通点が少し見えてきました。相手の取らせ方によって、さばき方が違ったりして以前は複雑に思えた数々の技も、ある程度共通していることに気付きました。しかし、状況によって出す技も変わってくるわけで、どの技を選択すればよいのか、さばき方、間合いの取り方など、今までは十分に考えずに稽古していたことが露呈されました。考えていなかったというよりも、そういった点が大事であるかがよく分かっていなかったのだと思います。今回、時間がないなりに行った一人の自由技のおかげで、私が今まで行ってきた稽古を振り返り、再考することで頭が整理され、そして、相手を制する際には何か大事なのかを考えるきっかけを作ることができました。
 先日たまたま、ふと稽古とはなにか、と思い辞書を引いてみました。『稽』とは『とどまる、考える』の意味であるから、『稽古』とは過去を振り返ること、という意味にもとれます。つまり、実際に体を動かすことだけではなく、私が今までの合氣道を振り返りかえったように今までの技をよく再考し、反芻することもまさに『稽古』であると解釈しました。
 だから、時間が限られている状況でも、過去の技を振り返って再考することは私にはできるので、実際に体を動かす時間は少なくなっても『稽古』はまだまだ続けていけると思っています。
 最後になりますが、池田師範をはじめ、和氣會の皆さま、先輩方、現役生の皆さまには常日頃からお世話になっており、特に弐段審査のための稽古に親身になって付き合っていただき、心から感謝申し上げます。今後も日々精進していきたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

 「   」
三級 R.S
 師範をはじめ、和気会皆様のご指導とご協力より審査を受けることができ心から感謝いたします。まずは何回を繰り返しても覚えられなかった「座り技第一教~第四教」の型を、諦めずに毎稽古前に教えてくださったSさんに最敬礼いたします。そして審査前の週に特訓して頂いたYさんに、表技で自分の体態勢がなぜ崩れやすいかの「なぞ」を解けて頂いたことに感謝いたします。それはきちんと膝行して体重心を保てながら移動できていないからです。数年前に初めて審査を受けたときも、師範より膝行を練習するようとご指摘頂いたことを思い出し、自分が真剣に練習しなかったことに反省しております。審査当日は「膝行に注意するよう」と充分に気をつけたつもりですが、Sに撮ってもらったビデオを見てみると、付け焼刃であることがよく分かりました。師範が常々おっしゃられる合気体操と準備運動の大切さをあらためて痛感いたします。これからも基本動作をしっかりと身につけて一歩ずつ進めていきたいと思います。どうかご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。
 感想文を書きながら、最近facebookでもよく見かける『正範語録』のことばが浮かんできたので、コピーして記載します。

<< 正範語録 >>
実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は情報の差

真剣だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり

本気でするから大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる

 

 「   」
三級 Z.M
 今回三級審査を受けさせて頂くにあたり、私は今までよりも強く不安を感じています。四級審査に比べて技が増えたので本番の審査で忘れずに全部できるのか不安であること、またその一つ一つの技の出来具合がよくないと自分でも感じていることが主な理由です。ですが、このような状態でも、受けるチャンスを有り難くも頂いたので、それに応えることのできるよう審査までのあと一週間と少しの間今までよりも精一杯稽古に励もうと思います。直前になってから後悔し、不安を感じるのでは遅いと思いますが、審査までに不安を小さくできるようにしたいです。稽古に真剣に参加するのはもちろん、すきま時間があれば、指摘して頂いた点や技の流れ、そして審査でおこなう技同士の流れをイメージし、疑問点はすぐ解決するようにしようと思います。これまで指導して下さった方々に「この程度なのか」と、審査でがっかりされることのないようにしたいです。

 「   」
三級 K.N
 年度も代も変わりまして自分が二年生になったことが未だに信じがたい心地です。それでも後輩も入り、基本の動きを教えるようになってきました。
本当に僅かながら自分にも判ることを教える内に、自分の欠点が数多見えて来ました。それを直すことは技の向上に直結する、と頭では理解しています。けれど体に癖として染み付いたものも多く一朝一夕には直らないだろう、とも考えております。こんな状況で審査を受けることに一抹の不安を覚えますが自分の欠点を意識することで少しでも改善しながら審査に備えたく思います。

 「   」
三級 N.Y
 三級は四級に比べ、技の数が増えたように感じます。五級からずっとしている技もありますが、今回から内容に含まれる技もあります。今回私が特に気をつけている技は立ち技突きの小手返しです。突きをかわして相手の手を取ることももちろんですが、その取った手を自分の中心で、腰をおとして低くめぐるというのが非常に難しいと思います。私はまだめぐるのが全然上手ではないので特にそう感じるのではないかと思います。先輩のめぐり方を見ていても自分のめぐり方とは違うということがよくわかります。先日先輩に指摘されたことですが、軸足がぶれているからバランスが安定しておらずしっかりめぐれないのかもしれません。姿勢もたまに注意されるので、体勢が安定するように意識しなければなりません。審査までにできるだけ修正して技を行いたいと思います。

 「六級審査」
子供の部 六級 K.S
 審査を受けて、三教ができなかったことが残念でした。
 でも、ほかの技は先生にいわれていた、体をピンとのばせていて、よく出来たかなと思います。
 体調が悪くて稽古を休んでしまい、合格できるか心配だったので六級の審査に合格でき合格証書をもらった時は、とてもうれしかったです。次は帯の色が変わるように頑張ります。

 

 「   」
子供の部 八級 K.M
 審査は、緊張しました。
前受け身は、少し手に力が入っていなかったので、ひじが曲がってしまったかもしれないです。膝行法は、足が残ってしまったかもしれませんでした。
転換法は、もっと堂々と前を向いてやればよかったかなと思います。
 今回は、受けた子供が多くて、しかも私は最後の方だったので、少し安心して受けることが出来ました
 でも、やっぱり緊張しました。

 「   」
子供の部 八級 K.S
 私は、八級の審査を受けました。前受身や、しっこう、などはうまく出来たと思います。
 でも、最後の片手取四方投げが失敗してしまったのが、残念でした。
 でも、Yさんが教えてくれて、やっと出来ました。
 すごく、きんちょうしました。受かっているとうれしいです。

 「昇級審査」
子供の部 八級 K.C
 私は審査を受けました。受けるのはたぶん4回目くらいだと思います。初めて受けた時はドキドキしたけれど、何回か受けているので、初めて受けた時と比べたらあまりドキドキしませんでした。
 前受け身、後ろ受け身、しっこうなどは、だいたい基本の動きなので少し簡単でした。 あと、おまけで何が出るか分からないので、むずかしいのだったらどうしようかなと思ったけど、正面打ち入り身投げだったので良かったです。
 自分的にはまあできたと思います。受かればいいと思います。

 「はじめてのしんさ」
子供の部 十級 M.U
 ぼくははじめてしんさをうけました。きんちょうしたけど、しんさを受けたときは楽しかったです。
 練習の時は、うしろうけみができなかったけど、しんさの時はできてうれしかったです。
 これからもたくさんがんばって、もっともっとじょうずになりたいです。

 

 

 平成24年6月

「知りました」
 池田 憲夫
 皆様のお陰で、今年も大阪大学外国語学部合氣道部の春期合宿に参加してまいりました。合宿では、恒例で、最後には、幹部になる人に、期待を込めた、ある程度、しんどい、引き継ぎ儀式があります。これから一年幹部として後輩を引っ張り指導し、合氣道部の運営に自信と責任を持ってもらうためです。合宿のお世話になるのは、高知県の明徳義塾高校です。合氣道部の先輩が高校の先生をしている関係で、合宿道場、宿舎として、許可を頂き一週間お借りしています。その儀式の時、明徳義塾高校合氣道部の人々(殆どが留学生です)と合氣道を知らない留学生が見学に来ました。合氣道部員には見学だけではもったいないので、儀式に加わってもらいました。部員は、入部して半年ぐらいでしょうか、じっと座ってばかりの私に、「呼吸投」をして欲しいとの申し出があり、数名を投げました。しごかれました、私が。でも彼たち、彼女(一名)は、素晴らしい素質、身体能力の持ち主ばかりでした。半年の稽古で、あれほど上手に受身がとれるのか、疲れないのか、不思議でした。テレビなどで、スポーツ放送を視て、日本人外国人にはなかなか追いつけないな!と思っていましたが、実感した時でした。驚きでした。

 過日、ある人に、お辞儀くらい、ちゃんと丁寧にするようにと、申しました。いや、命じました。その際、「礼」の旧字体は、どのように書くか、その意味するところは何か、調べておくように、命じました。今までは「禮」とは、「ころこのゆたかさをしめす」と思っていました。だから、お辞儀がちゃんと出来ない人は、こころの貧しい人と判断されるから形だけでも良いから、ちゃんとするようにと願ってきました。ところが、うん十年ぶりに漢和辞典を紐解き調べたところ、すこし意味が違っていました。
 神の意を表す示と、豊は、ふみ行うの語源(履)から来ている。神に向かって儀礼を履行するの意。ひいて、一般に儀礼の意となった。
 
 また、面白い本に出会いました。既に、お読みになった方がおられるかも知れません。今野敏著「ドリームマッチ」です。著者は、いろいろな武道に造詣が深く、さすがと思っていました。「発頸」「体のうねり」「テコの応用」「でんでん太鼓」が上手く説明されていました。このあたりが、私どもが稽古している「合氣道」が、植芝盛平翁先生先生から、残念ながら学べなかった点であると、私は、思います。小説ですので、真贋の程は解りませんが、「野見流合氣拳術」と言う武道で、島根県に伝わった古武術だそうです。ご一読下さい。

 最後に、一月末に、尾張合気会木田道場の記念式典で、滝本先生から頂戴しました、掛け軸を稽古時に、掲げておりますが、「育徳」について。「育」とは、一、そだてる、やしなう(養う)。はぐくむ。二、おさない。三、うむ。うまれる。の意義があります。「徳」とは、古代には、神を知る能力であり、ついで力の意となった。さらに、人に備わった、またおさめるべき人間的な価値がある力の意となった。一、道を行って体得した人の、立派な行いの総称。二、めぐみ。三、ありがたく思う。四、よいおしえ。五、徳を積んだ人。   と、ありました。 

 

 「   」
子供の部 準九級 K.Y
 前回の試験では準備が今 思うとあまりできていなかったように思います。今回は試験にむけて 技を中心に練習ができました。当日は少し早めに集まって練習する時間を先生がつくってくださったので感しゃしています。試験中は、きんちょうしたけれどなんとかできたかなぁと思います。受かっているとうれしいです。
 ※ 前回、「あゆみ」に掲載することを忘れていました。申し訳ございません。

 「   」    
 四級 U.K
 合気道をはじめて十ヶ月ほどになりました。五級の審査を受けてから四ヶ月ほどになります。あのころの稽古は週一日の土曜稽古だけでしたが、今ではその他の稽古にも参加できるようになりました。そのため以前より体力がついたように思います。この四ヶ月の間、初めて見る技や難しくてできない技もたくさんありましたが、いろいろな方々に教えていただく中で足や体の向きや位置などなにかしら学び取ることができました。日ごろの稽古でも毎回何か一つ以上は新しいことを学べてとても新鮮でした。これは稽古量を増やせたからだと思います。量が増えたからといってそれに比例して上手くなったわけではありませんが考え方や姿勢が変わったように感じます。四級の審査では慣れない技もありますが今まで教えていただいたことを最大限に発揮できるように残りの時間を大切に使い、審査に臨みたいと思います。

 「   」
 四級 N.Y
 前演武会でした時に途中でわからなくなってしまったことがあります。肩取り二教は、流れは大体わかってきましたが、まだまだ未熟で先輩方に注意されることが多々あります。寒稽古で集中してしようと思います。また、五級でした技もまだ先輩や他校の方に教えていただくことがあります。五級審査の際にいただいた講評を読み直して、前よりよくできるように注意事項を頭に入れておきます。
 普段と違い、人の前で動かなければならない時にまだ緊張してしまいます。もともと大きい方ではありませんが、声も小さくなってしまいます。それは自信がないことも原因の一つだと思うので、審査の時に緊張のあまり礼儀を欠くことがないよう、これから短い期間ではありますが、稽古に励みた四級では、新たに横面打ち四方投げと肩取り二教をすることになるということで、五級受験の時よりも不安を感じています。横面打ち四方投げは、以いと思います。

 「   」
四級 Z.M
 今回、4級審査を受けさせていただくにあたり、一番大事にしたいのは円の動きです。春から合氣道を始めてからずっと言われてきたことですが、動きを覚えて稽古についていくのに精一杯だったため、いつでもその点に思いをめぐらせているわけではありませんでした。演武などで上手い方々の技を見ていくなかで、私の技になめらかさが足りないのはやはり円を上手く描けていないのではないかと考えるようになりました。以来、普段の稽古では「円、円」と自分に言い聞かせながら動くようにしてみたところ、円を描きながら動いた方が動きやすいのではないかという印象を受けました。1月16日から箕面キャンパスで1週間行われている寒稽古のなかで、より円の動きを体に覚えさせ、前回よりもレベルアップした自分で審査に臨みたいです。また、前回の5級審査の時よりもさらに姿勢に気をつけ、体の動きだけでなく目線にも気を配っていきたいと思います。

 「四級」
 四級 K.N
 合氣道を始めて半年以上経ちましたが、やっと呼吸法の基本が判ったくらいでしかありません。その他の技も、5級でしました技を繰り返すのが精一杯です。
これで本当に4級が取れるのか、初めてする技も多く、自分では不安ですが、推薦して下さった先輩方を出来るだけ信じてみようと思います。
他の3人には到底及ばないでしょうが、下手は下手なりに何とか足?いてみようかと努力しております。
宜しくお願いします。

 「昇級試験」
 三級 H.K
 昇級試験 緊張しました。本当に難しいです。合気道は、技の流れは解っても、いざ 始めると、手足は、ばらばら。呼吸は、激しくなるし、元から身体が、硬いのに力が入って、ぶっさいくに…頭の中では、半身 、体重移動、手の動き、足の動き、腰の動き。考えれば 考えるほどばらばらに、一つ一つ動けば?流れの中では、身体を素直に動けば?で、でた結論は、稽古しかないですね、身体が動く間は、稽古に励みたいです。諸先輩 学生さん、宜しく御願いします。少しずつ、次を目指しますので宜しく御願いします。

 「   」
  子供の部 準八級 Y.S
 合気道の試験を受けるずっと前は、気持ちによゆうがあったけど、いざとなると、前にあった気持ちがなくなったけれど…HさんやOさん、Tさんの声を聞いて、がんばれました。
 試験をしている時には、ぜんぜん何も聞こえませんでした。
 でも、終わってみたら、自信が少しあります。
                   

 「   」
子供の部 準九級 T.S
 ぼくは、今回二回目の試験を受けました。試験の前に、学校の行事やインフルエンザにかかったりして、練習が出来なかったので少し不安でした。でも本番では、いつもの稽古のように出来たのでほっとしました。これからも、もっともっと稽古をして上手になりたいです。

 「ドキドキしたしんさ」
子供の部 十級 H.H
 ぼくははじめてしんさをうけてドキドキしました。 前に出た時はできるかな?と思いましたが、「声が大きい」 と言われたのがうれしかったです。
  後ろうけみをしっぱいしてしまいざんねんだったけど、がんばりました。おわったときはほっとしました。
  これからもがんばって、そしてもっと上手になりたいです。

 「   」
 子供の部 十級 S.R
 テストの時、おなかいたかったので、きんちょうしました。それに、テストが合かくするかしんぱいになりました。れん太ろうの番に、前うけ身、後うけ身としっこうは、自分で出来たと思いました。かた手どりのこうほういりみなげの時に心の中で「どんなんだっけ?」って思いました。なげるのはあんまりいい点数じゃないと思いました。次の合気どうの日に、しょうじょうがもらえると思ったけど、その次の日だったので、がっかりしました。しょうじょうをもらった日に、けっかの紙を見てみると、あんまりいい点数じゃなかったけど、自分なりにがんばれたと思います。

 「   」
 三級 U.K
 およそ一年前、先輩方の三級の昇級審査を見学したのがついこの間のことのように感じられます。何もわからぬままに目の前で行われる昇級審査。あれから一年が経ち、今度は自分がその審査に挑戦する番になりました。級を重ねるごとに技の数も増えて技の順番を決めるのが少し大変になってきましたが、自分の技をいろんな人に見ていただける場なのでめりはりのある内容にしたいです。新入生も新たに加わり、二回生もなかなか大変なものだと感じる今日この頃です。後輩に技を説明するとき、今までに聞いたことを受け売りしているだけではありますが、教えることはそれぞれの技のポイントを再確認できるよい機会だと思いました。今までにあらゆる方々からいただいたアドバイスを思い出して一つひとつの技を丁寧に残りの時間で再確認し、悔いの残らぬようにしたいと思います。

 「無題」
 初段 M.R
 この度、初段の昇段審査を受けることになりました。時が経つのは早いものいで、合氣道を始めてから二年が過ぎようとしています。何も分からずに合氣道をやっていた最初の頃を今でも思い出されます。見たそのままのことをやって、次第にどういう技なのかを理解して、どうすればうまくいくのかを研究する、そのような過程をこの二年間やってまいりました。そして、初段の昇段審査を受ける時が来ました。袴をつけると、他人から見ればみな同等。今までのようにただ闇雲に技をやるのではなく、相手に教えていくということも増えてきます。人に教えるとは、己が理解してそれを相手に伝わるようにする、とても高度なことだと私は思っています。その中で、自分の技をこれまで以上に向上させて努 力していきたいです。昇段審査が新しい出発点となるように、全力で臨ませていただきたく思います。

 「初段審査を受審するにあたり」
初段 N.S
 春合宿が終わって初段審査が目前まで迫り、自分の技の不出来さに焦りを感じながら稽古に励んでおります。私は二年近く前に先輩方の演武を見て、袴姿に憧れて入部を決意しました。しかし、いざ三年の四月になると新入生を合氣道部に勧誘する立場にあたり、自分自身の技を見直してみると二年ほど前に自分が惹かれたように見た人の目を引くような演武をすることができるのか非常に不安になっていました。しかし、ある先輩に助言を戴きました。それは、元々その段や級の審査を受けるには、それに相当する実力が必要あるというのではなく、その段や級を取得したことによって自覚が生まれることにより、実力が後から追いついてくるという考え方でした。その助言を戴いたことによってこの審査では、今の自分の実力を精一杯に演武に込めて取り組もうという考えに至りました。この二年ほどで学んだことすべてを演武に込めたいと思います。また、幹部として副将として後輩の見本となれるように全力を尽くしたいと思います。宜しくお願い申し上げます。

 

平成24年1月

「新年を迎えて」
池田 憲夫
 いろいろとあった大変な一年でした、昨年もそれぞれの人々がそれなりに踏ん張り、やっと新年を迎えました。今年こそ、穏やかな一年であって欲しいと願っています。 
 和氣會を創設して以来、十七年皆様のお力でずっと継続してきました「越年稽古」を私の都合で中止しまして、お詫びいたします。お陰様で、久し振りに、ゆっくりとゆったりと新年を迎えました。大晦日には、お酒を少し頂戴しながら、猪苗代湖ズの歌(I love & I need youふくしま)を聴きました。NHK と言うことだから、あるいは、紅白歌合戦だからでしょうか、live とは違いかなり遠慮気味の、静かな歌いぶりでした。
 今年は、久し振りに、本部道場での、「鏡開き式」に出てきました。例年参加者が増えてきまして、二百畳以上ある道場が所狭しの状況です。立錐の余地がないという表現が生やさしいほどの人々で、座ったらそのまま動くことも当然移動することさえも難しいほどです。今年は、中道場や小道場にも席を設けテレビカメラでその模様を中継したほどです。道主 植芝守央先生は、受けを三名使い、およそ八畳で、奉納演武をなさいました。神業です、毎回感動して拝見しています。合氣道では、審査での昇段は、四段までです。五段以上は、毎年一回正月第二日曜日に執り行われる「鏡開き式」にて推薦昇段となっています。日本のみならず、全世界の合氣道の稽古人に当てはまります。合氣道人口が増え、それはそれは、すごいものです。昇段者も五段が二百云十名、六段が数十名、七段が云十名、喜ばしいことです。皆様も、五段昇段の際には、必ず、是非とも、参加していただき、証書をもらってもらいたいと思います。道主 植芝守央先生のお姿を拝見し、私もさらに精進すべきとの思いを新たにした所存です。
 和氣會を設立して、当初は、越前さんに受けを取って頂きましたが、体操当番を決め、その人に受けを取って頂くことにしました。いろいろな経験を積むために。でも、合氣道の良さを解って頂くためには、拙かったかも知れません。受けに合わせて静かにおとなしくなってしまいました。新年からは受けは有段者にお願いします。その横に、当番の人が待機して、その後、同じ技の受けをしてもらいます。待機中に、ちゃんと観察していて下さい。きびきびとした、技をと思っています。よろしくお願いします。
 今まで出来てなかったことが出来るようになることが若さです。今まで出来ていたことが出来なることが老いです。皆さんはいかがですか。子供達の合氣体操や技を見ていると、若さ、若いと実感します。なんでこんなことが出来るようになったんだろう、すごい。羨ましい。感動です。私も、老いることなく、いろいろな事に興味を持ち生き続けていきます。若さを保つために。

 「審査に向けて」
五級 K.N
 合気道を始めて半年になろうとしていることに気付いて驚いています。
春先に先輩方が審査を受けているのを見た折りには技の鋭さや気迫に息を呑みました。今自分が審査を受けようとしています。果たして先輩のように上手く行くかと自問自答すれば答えは否でした。始めて間が無い初心者と先輩方を比べるのは愚の骨頂でしょう。それでも初心者だからという立場に甘んじること無く自分に出来ることを未熟ながらやり抜くつもりで審査に臨みます。

 「審査に向けて」
五級 N.Y
 以前先輩方が審査を受けられた時は予定があって見ることができませんでした。ですからいまいち雰囲気がわかりません。審査がいよいよ近づいてきて、先輩方に色々教えてもらっていますが、その場に臨む気持ちは自分でつくっていくものなのだろうと思い、最近あれこれ考えています。自分の正直な気持ちとしては、受かりたいという気持ちはそれほど強くありません。自分が今できる最大限のことをして不合格だったらそれは仕方ないと思いますただ、最大限のことをするためにまだできることがあるし、先輩方がわざわざ自分たちの時間を割いて稽古に付き合ってくださるので、教えを吸収して技を高め、結果として審査に合格できれば恩返しができるかなと思っています。審査をよろしくお願いします。

 「昇級審査に向けての意気込み」
五級 Z.M
 大阪大学に入学し、合氣道を始めて約半年がたった。1年生が通うキャンパスの関係上、週に1回しか稽古に参加できずなかなか上達しないことがとてももどかしかった。特に後ろ受身にはてこずった。先輩方の技を見ていても、「あと1、2年であれくらいまでできるようになるのか」と不安に思うこともあった。しかし、量よりも質の向上を目指して指摘してもらったポイントに注意しながら技の稽古をしたり、なぜ先輩方のように流れるように動けないのかを考えたりしながら、数少ないとは言えども、集中して稽古に参加するようにした。また、講義を聞いていて眠くなった時などは練習がてらに自分に二教や四教をかけて眠気を覚ましたり、前回の稽古で練習した技や昇級審査でやる技のイメージトレーニングをしたりなど、平日でも常に合氣道のことを頭のどこかで考えるようにした。昇級審査では、今までの稽古の成果を見せることができるように普段の稽古よりももっと元気いっぱい頑張りたい。

 4「弐段審査を終えて」  
弐段 K.D
  池田師範をはじめ、和氣會の皆様、現役生の皆様、この度は大変お世話になりました。受審させていただくにあたり、多くの方々にご指導を賜り、激励のお言葉をかけていただきました。人との輪の中で、人と生き、人に生かされながら、自分は何とか立っていられるんだということを強烈に感じさせられ、感謝の念で胸がいっぱいです。この場をお借りして、皆様に御礼申し上げます。誠にありがとうございます。
 この度審査を受審させていただくにあたり、私のなかで、外大合氣道部OB会九州支部の支部長としての自分に、公務員試験に向けて勉強している自分に、ひとつケジメをつけたいという思いがありました。日頃緩みがちな気持ちを引き締めたかった、というのが受審させていただいた動機のひとつです。審査に向けましては、外大OBの越前様、野村様より多大なアドバイスをいただき、九州支部の稽古会にてご参加いただいております方々にご指導いただき、また実家では武道など全く触れたこともない弟の体を借りてイメージトレーニングをさせてもらったり、合氣道関連の書籍をあたったりと、色んな方にお世話になりながら準備を進めてまいりました。しかしいざ本番を迎えますと、頭は真っ白になり、技 はなかなか思い通りに行かず、さらに審査に臨む姿勢につきましてもご指摘を受け、あぁ自分はまだ弐段を受審するそのスタートラインにさえ満足に立てていなかったのだと、自分を非常に情けなく、悔しく思いました。そして、焦りや緊張など様々な感情が押し寄せる中で平常心を保つことの難しさ、物事に臨むにあたり自分の立場や自分の行動、振る舞いを一つずつしっかりと自覚し、考え、意味を見出すことの重要さを改めて感じさせられました。
 ただこうして、失敗してしまったな、自分はまだまだだな、と感じさせてもらえる環境があることは本当にありがたいことです。素晴らしい方々に、素敵な環境に恵まれ、私はとても幸せだと思いました。今回の審査で得たことは、合氣道の中だけに留めず、私生活にも広く活かしていきたいと思っております。そして私を日常から引きずり出し、素敵な経験と刺激を与えてくれる合氣道を、感謝の気持ちと謙虚さを忘れずに、これからも続けてまいりたいと思います。
 

 「一級審査に向けて」
 一級 N.S
 二級審査が終わり、様々な行事に追われていく中、来年この行事に参加する時には幹部として参加することになるということを意識の端に入れながら、稽古に取り組んでいます。毎日稽古をしていく上で、最近特に心がけていることがあります。それは稽古の中だけではなく、姿勢や目線などの日常生活で出来ることを一つ一つを意識することです。僕がまだ武道に出会う前で記憶が定かではありませんが、ある書物に「武道は日々の生活や人との接し方にも表れてくる」という記述があったのが印象に残っています。まさにその通りだと感じました。日常生活の中でも目線や姿勢などは、非常に大切であると再認識しました。
 この度の一級審査では、二級審査よりも技の決め方や姿勢や目線などを意識的に改善することができるように努力して参りました。これらの稽古の成果をお見せすることができればと考えております。宜しくお願い申し上げます。

 「一級審査に向けて」
一級 M.R
 今回、一級審査を受けることが出来て大変ありがたく思います。先日、二級審査の時の映像を見させてもらう機会がありました。一度ゆっくりと自分の動きを客観的に見ることが出来て、自分の未熟な部分を確認することが出来ました。
 また、高取国際高校との合同稽古をする機会がありました。日頃稽古している動きとは違う部分もあって、様々な発見をすることが出来ました。その時に、一番自分に足りないものは「元気」だと思いました。高校生はどんなに体力的に苦しくても常に元気良く稽古していました。「元気があれば何でも出来る」というある有名人の言葉が思い浮かびます。
いつもの稽古でも今まで以上に元気にやりたいと思います。
 審査についていえば、座技の正面打ちの一歩崩しが一番の課題だと思います。丁寧かつ素早く、なかなか両方を兼ね揃えて行うことが難しいです。とにかく、一歩崩しのみに限らずあらゆる技において自分から前に出ていけるように頑張りたいと思います。

 「大人の部 二回目の審査」     
四級 K.T
 今回の試験は、自分的にはあまり満足できませんでした。
 正面打ちの入り身投げのとき、誤って相手の肩にふれてしまいました。
 それに、あまりビシバシときれがありませんでした。
 これからは、この反省を軸に、合気道を頑張り、そして、審査を満足して終われるようにします。

 「   」
子供の部 準六級 K.S
 準六級に上がって良かったです。帯が水色に変わるので、うれしいです。
 1年で最後のしんさなので、うかって、本当にうれしいです。
 どんどん上がって、帯の色を変えていきたいです。

 

 「3回目の審査」     
子殿の部 準八級 K.S
 私は、これまで審査を2回受けてきました。今日で、3回目です。
名前を呼ばれるまで、「いつよばれるかな?」と思って、緊張しました。
 そして、名前を呼ばれました。私は、凄く緊張しました。だけど、
ぜんぶ、知っている技だったので上手く出来たと思います。
 みんな、黒帯の人を呼んでいたけど、『私は、おにいちゃんでいいのかな?』と、思いました。
 お兄ちゃんを、呼んだ時ちょっと恥ずかしかったです。
 次の審査も、頑張りたいです。

 「審査を受けて」
子供の部 準八級 K.M
 私が審査を受けたのは、後の方だったので、皆の演技を参考にする事が出来て良かったです。
 演技をする時は、緊張しました。膝行法は、少し膝が残っていたかも知れません。前法受け身は、また足が回ってしまったような気がします。ちゃんと頑張って、もっと上を目指したいです!

 

 「3回目のしんさ」
 子供の部 準八級 K.C
私は今回で3回目です。きん張感は前よりすこしへったぐらいで、とてもドキドキしていました。でも他のみんなも同じ気持ちなんだろうなと思うと、がんばろうという気持ちになりました。私はMちゃんとSちゃんと同じ級なのでいつもいっしょに受けていました。そして名前をよばれました。「次は私の番だ!」と心の中で思いました。注意されたことを覚えておいて、やりました。
 初めてしんさをした時よりも上手くなったかな?と自分でも思いました。
ドキドキしていたので、ちょっとの短いしんさでも長く感じました。Mちゃんたちのを見ると「上手いな」と思いました。
 自分が思ったよりもできてよかったです。

「     」
  子供の部 九級 Y.A
 今回の審査は受ける人が多く、準備体操をしてからすぐ始まるので、八時三十分くらいから道場が開いていました。それで、わたしは九時まで呼吸法や正面打ち一きょうなどを練習しました。
 九時になると体操をして、
(そろそろ審査かな?)と思っていたら予想外!
「審査受ける人、前に来て!」
(え?何するの?)と思いながら、前に出ました。でもすごく単純なコトで、体操の時のかけ声を言うだけでした。
(難しいことじゃなくて良かった。)とホッとしました。
「みんな座ってー。」
 そう言われた時、すごくドキドキしました。なぜかというと、師はんに
「Aちゃんは一番初めだよ。」
と言われていたからです。そして、名前を呼ばれて返事をして礼をしながら、
(メッチャきん張する。)と思っていました。
 一人技で失敗したと思ったコトは、いっぱいありました。しっかり前を向いてできなかったり、しっこうでは足が少し残っていたような気がしました。 二人技はほとんどできていたと思います。
 審査はあっという間に終わりました。他の子の審査を見ていて、自分だけ後ろしっこうをしていないことに気づき、残念でした。

  「合気道の審査」
   子供の部 Y.K
 合気道の審査は三回目だったので、きんちょうしていないと思っていたけれど、しっこうの時[ぐらっ]と体せいをくずしてしまって、やっぱりきんちょうしているなぁと思いました。
 だけど、後ろ受身としっこう以外は上手にできたと思います。
 それに、大きな声で最初「はいっ」と言えたのがうれしかったです。最後も「ありがとうございました」と大きな声で言えて、良かったです。

 「はじめてのしんさ」
子供の部 準九級 K.TK
 ぼくは名前をよばれるとき、きんちょうしました。
みんなのまえでしんさをしたから、がんばったと思いました。はじめてのしんさだから、やっているときはむずかしかったです。けどしんさができてよかったです。しんさをやっていた人もきんちょうしたと思いました。
 ぼくはしんさをやっている人のを見ると「いろんなわざがある」と思いました。
 しんさができてよかったです。

 「がんばったしんさ」
 子供の部 準九級 K.TG
 12/4にしたしんさははじめてでした。はじめに名前をよばれたとき、ちゃんと返事をしました。みんなの前にたったりしたからきんちょうしました。
 すこしのわざをしたけどむずかしかったです。でもさいしょからさいごまでできて、がんばったと思いました。
 ほかの子のしんさを見て「いろんなわざがあるんだな」と思いました。
 しんさをうけていた人はきんちょうしてた人としてない人がいたかもしれません。やっていた人はしゅうちゅうしてわざをしていました。
 ぼくがやったわざは、まえうけみと、うしろうけみと、しっこうと、しょう面うちいっきょうと、すわりわざこきゅうほうをしました。
 じぶんが思っていたよりもじょうずにできました。

 「1回目のしんさ」
子供の部 準九級 K.Y
 ぼくははじめて前に出てしんさをして、きんちょうしました。でもみんなに何もいわれなかったので、あまりきんちょうしませんでした。ぼくはがんばりました。
 まだおびはかわるかわからないけど、黄色おびに早くなりたいです。でも黄色おびのほうが白おびより長くなるけど、体が大きくならないとちゃんと合いません。
 前うけみも、後ろうけみも、しっ行も後ろしっ行も、すわりわざこきゅうほうも、しょうめんうちいっきょうも、上手にできているかわかりません。
 でも楽しかったです。

 

 

 平成二十三年九月

 「合氣道との関わりと感謝」 
四段 戸倉 光明 
 今般2011年9月18日豊中市岡町「岡会堂」で、昇段の審査の場をいただきました。和氣會池田憲夫師範、ありがとうございました。中今塾の西守師範には、中今塾の稽古日にもかかわらず、わざわざお越しいただき受けをお取りいただきまして恐縮しつつ深謝いたします。更に豊中和氣會の道友の皆さま、そして大阪大学外国語学部合氣道部部員の皆様方、各位には審査での受けを取っていただきました事と共に、ここに至るまでのお助けをいただき御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 去る7月9日、吹田市の洗心館武道場での大阪府合気道連盟発足の研鑽会・演武会で、加盟する道場の演武会に池田師範の推挙で登録道場の代表として大阪大学外語部合氣道部のI主将・I副将と一緒に、植芝守央道主の御前での演武をさせていただきました。大変光栄でした。その日の午後、懇親会で西守師範が池田師範のところに来られてからの話しが、今般の昇段審査への発端となりました。
 昭和40(1965)年初夏、大阪外国語大学の一回生の時に合氣道(当時は同好会)に入りました。その頃の日本では合氣道はマイナーでした。他の大学でも体育会の部としては、認められたところは少なかったようです。三回生の時に、正式な体育会合氣道部として認められましたが、部昇格が成った大学の中での順番は、まだ一桁台でした。話しがそれました。 合氣道と関わったのがこの頃で、18歳でした。中学では陸上部と生物部、高校では野球部でしたが、けっして運動神経がすぐれていた訳ではありません。ただ中学で片道3キロm、高校で片道10kmを毎日自転車通学をしたことが、何らかの心身のねばりをつけてくれたのかと考えています。そんな中で、なんで合氣道をかじることになったのかと思います。
 大学一回生の当初から、卒業後は海外雄飛を希望しておりました。当時、ドイツの街で日本の商社マンが運河で他殺体となって見つかった事件がありました。護身の為に『何か武道ができないと、いけない』と決めました。いろいろある武道系の中から、経済的にも体力的にも容易と思われた合氣道を選びました。身長173cm体重58kgでした。それが、4回生の時には、175cm68kgになっていました。
 合気道は、道着と帯の装束、体重が軽くても不利ではない。舞を舞うように軽そうな動きで、空手のように蹴りを入れられたり、どつかれたりは無い。面や小手・銅や袴・竹刀などの道具が要らないし、高価では無い。このような理由が、合氣道に近づいた理由の一面でした。しかし経済的・部分的には正解でしたが、体力的・身体的には案外にも厳しくきつかったです。学生時代はけっして稽古熱心でもなかった自分です。それが、そんな中でも今まで合氣道と一緒に居られるのは、その時その時の周りの寛容な方々と家族の支えのお蔭で有ったと思います。そして、現時点も以前と同様に皆様の寛大・寛容に支えられていると思います。今年10月で65歳になります。「まだ、65歳」で「もう65歳」と思わないようにしたいと思います。
 合氣道を続けていて、いろんな出逢いがあって不思議な思いと不思議な縁を意識しています。波長の合う出会いが多く有って、合う波長の幅がだんだん広がっていくように思います。
 みな様のご健勝とご多幸をお祈りします。

 「   」
 二級 N.S
 一年半前に僕が合気道部に入部した時、生まれつきであるのと受験での運動不足が重なり、僕の身体はとても堅くなっていました。そのため、入部当初から現在までお風呂上がりに十分程度の柔軟体操を取り入れて来ました。 始めてすぐの頃は、柔軟体操のやり方がよく分からなかったので、効果があまり出なかったのを覚えています。ですが、人に押して貰ったり、自分なりに工夫を凝らすことで、最近になって少しずつですが、良い方向に向かっていると感じています。
  柔軟の他には、受けの体をしっかりと崩すことができるように自分の体を動かすかということに、以前よりも重きを置いて稽古しています。最近の稽古でも、先輩や同期に聞いたり、自分自身で考えながら集中して取り組むことができています。今回の審査では、柔軟と同様に、少しでもこれらの取り組みの成果を発揮できるように努めたいと思います。
 宜しくお願い申し上げます。

 「二級審査に向けて」
  二級 M.R
 この度、二級審査を受けることができて本当にうれしい気持ちです。私は、高校時代に空手道部に所属しており、その時に合氣道をやっていた同期の友人がいました。休憩時間等にその友人に技をやってもらいました。いつの間にか投げられていたなという記憶がよみがえります。彼は、空手道において私にとっての良い友でありライバルでもありました。常に彼には負けたくないと思って努力していました。そんな友人は当時合氣道三級だと言っていました。彼が今も続けているかは分かりませんが、そんな彼を仮にも超えるというこの二級審査というのは私にとって一つの大きな壁だと思います。
 二度目の夏合宿が終わりました。相変わらず自分の体力のなさ、周囲への気配りの足りなさをこの上なく感じました。まだまだ未熟だなと思いながら、逆に自分の成長の伸びしろがまだあるなと前向きな考えを持ちつつ最近の稽古に臨んでいます。審査では、自分の持ってる力を思う存分出せるよう頑張ります。

 「   」
 三級 S.K
 池田師範、和気会の皆さん、いつもお世話になっております。
 先日は、三級の審査を受けさせて戴きました。有難うございました。
 数日前より、技の手順。ご指導戴いた修正箇所とポイント。
 頭の中で何度も何度も反復し大丈夫の予定でした。
 当日になり、池田師範から{はじめ}のお声がかかると頭がスート。前回と同様、真冬の北国の状態に。それでも、受けの方の攻撃はきます
 せっかくご指導戴いた数々の事柄も甲斐なく終えておりました。
 武道は日々の稽古量のみが確実と実になり成長ありと新めて気付きました。これからは、増々目の前の一瞬一瞬に気力と体力を注ぎ精進致したいと思っております。
 今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

 「   」
五級 U.K
 今年の春大学に入って何か新しいことをしたいと思って始めたのが合氣道でした。なにより素手でできる武道というのが魅力でした。以前剣道をほんの少しだけ経験したことがあるのですが、級を取れるまでには至りませんでした。なので今回の昇級審査が初めての級への挑戦で不安である一方、頑張ろうという気持ちもあります。技もまだまだ未熟で技の数も少ないですがひとつひとつを丁寧にやっていきたいと思います。今の自分にできることを精いっぱいできるようにしたいです。まだ合氣道を始めてから数か月しか稽古できていませんが今までのいろいろな方の教えをしっかりと思い出して審査の時にすべてを出しきれるように残りの稽古時間を大切にして審査に臨みたいと思います。そして審査を受ける中で足りない部分をこれからに活かしていけたらと思います。

 「困ったもんです。」
池田 憲夫
 我が家には、娘が二人います。娘と言うには、かなり年を重ねております。その二人が、福山雅治にはまっています。あちこちのコンサートに、時間と金銭とを工面して、行っています。所謂追っかけのようなものです。困ったもんです。東日本震災が起こり、四月には、「猪苗代湖ズ」というバンドが震災応援の曲をリリースした。聴いたらと言われ、ダウンロードしました。「I NEED YOU, I LOVE YOU FUKUSHIMA] です。何度も福島を連呼するので、福島の安売りをするなという気で、余り感動していませんでした。よくよく調べてみると、バックで福山雅治が、歌わずにギター伴奏で応援参加していることが判りました。また、そのバンドのリーダーが、忘れ始めていた母校・福島県郡山市にある安積高校(アサカコウコウ)出身であると知りました。高校は、明治時代、時の政府から、郡山は県庁をとるか高校をとるかと言われ、高校を選んだと言われている、明治時代の建物(鹿鳴館時代の建造物で、県の無形文化財に指定・何となく豊中クラブの建物に似ています)年代物です。
 この九月に、猪苗代湖畔の野外で、復興支援コンサートが開催されました。youtubeで、生放送されました。その情報を娘から聞き、一部ですが、見ました。福山雅治の熱演に感動しました。更に、その中で、彼が、曲紹介で、福島の紹介を兼ねて、「中通りの三春という町には、樹齢千年を越えると言われている瀧桜が有名です。」とあり、涙腺が危なかったです。三春は、私の生まれたところであり、瀧桜の近くで母が生まれ、その出生地は、今、ダムの中に埋もれています。youtubeをご覧になられる方は、どうぞアクセス下さい。さらに、「予定 福島に帰ったら」も、ジンとさせる歌です。
 あちこちで、民間人が(芸能人、スポーツ選手、特に被災地の方々)が、復興のために精一杯生きているのに、政治家は何をやっているのでしょうか。他人事でしょうか。被災地の岩手県には、Oが、宮城県には、Aが、福島県には、Gの議員がいるのです。このような緊急事態に、地元貢献しないで、いつするのでしょうか、また、Gと同じ町出身には、一時馬力のあったA'もいます。A'は、姪と小学校・中学校と同級生だったとのこと。A'もGも、それに、元幕僚長のTさんも、前述の高校の同窓生。困ったんです
 原子力の本を少し読みました。驚きました。安全・安心は、ウソでした。核燃料の最終処理方法もないまま稼働運転されていました。綺麗な言葉ではなりませんが、「トイレのないマンション」と揶揄されています。いろいろな費用も少なく見積もられ、安い電力もウソでした。日本は本当にどうなるのでしょうか。困ったもんです。
 合氣道に関しない話題で申し訳ございません。

付記
 昨日は、第十五回関西地区合氣道合同研鑽会が盛大に開催されました。
道主 植芝守央先生の技はいうに及ばす、そのお人柄、人となりを、道友の皆様に知って頂きたく、会を立ち上げました。道主 植芝守央先生を拝見したら、運良く投げた頂けたら、合氣道を稽古していた本当に良かったと、実感して頂きたく、の思いです。表紙の道主 植芝守央先生のお写真は、戸倉さんのご提供です。これで、第五回、第十回、第十五回と参加して頂いた方には、「吾勝」「正勝」「勝速日」(本来の言葉としては、正勝吾勝勝速日となります)が、揃ったことになります。合氣道的な意味を調べてみるのもよろしいかと思っています。第二十回は、「即宇宙」にしましょうかとの、道主 植芝守央先生のお言葉がありました。今から、楽しみにしています。 
 福山雅治の雑誌に、「プレーヤーとアレンジャーは、合氣道のようなもの」の発言がありました。意味するところは不明です。
 また、昨日、ひびきへ行く途中、たまたまFM放送を聴きました。すると、女流書道家が、合氣道によって人生の転機がうまくいき、云々と言ってました。紫舟という人でした。

 

 

平成二十三年六月 

「四段受審にあたって」
四段 太田 吉彦
 今年が始まるにあたり、今年の目標にあげたのが「四段を受審する」ということだった。合気会のホームページを開いて受審資格を調べ、家の前で杖の素振りを始め、基礎体力をつけるため職場の機械で筋トレを始めた。それが正しいかどうかはわからないけれども、四段なら多少の事は跳ね返せるようで無ければならないと勝手に思っていたからだ。とある師範に「太田君、それ以上痩せんでいいから、後は筋肉をつけたらええで」と言われたのを真に受けたのかもしれない。
 私は初段から弐段に昇段するのに7年、そして参段に昇段するのにさらに7年かかっている。私はかつて初段で黒帯を取った後、その先にある弐段・そして参段にあまり意味を見いだせずにいたのである。参段審査の時はすでに結婚し子供もいて、子供に自分が頑張っている姿を見せるというのが目標だった。その時でさえ、師範に受審を促されて受けた覚えがある。
 しかし、参段を受審してみて、「ああ、これではいかんな」と思うようになった。今回は、師範に促される前に、自分で目標を決めて自分で四段をつかみ取りたかった。いや、四段を取りたかった、というよりその先に進んでみたかったのだ。
 参段になってからというもの、皆の前で技をする機会が増えた。息子と一緒に日曜日の岡会堂の稽古に出られるようになって、子供と一緒に稽古をする機会が増えた。学生とあれこれ部活動の事について話をする機会が増えたそして中里さんと稽古をするようになって、自分の身体の動きをより深く考えるようになった。
 職場では、管理職になり部下ができた。部下を守り育てる義務ができた。人前に率先して立つ事が苦手だったはずなのに、いつの間にか色々な人間の相談に乗り、先頭に立って実際に業務を回していく立場になった。
 いろんな事が血肉となって今の自分があると思う。昔は関わる事の苦手だった人の「輪」の中で自分が育てられている気がする。いくら避けようとしても何やらそちらの方から向かってくるようである。
 成長には必ずストレスやプレッシャーがつきものだと考えている。いや、ストレスやプレッシャーがあるからこそ成長があるのだろう。昔の自分はそれにつぶされる事が多かった。「輪」を受け入れる事が出来るようになったのは、昔より自分が強くなったからかもしれない。
 心の「和」と人の「輪」と、それを与えてくれる合氣道に感謝。 

 「   」
三級 Y.D
 合氣道をやっていると、否が応にも身体との対話をさせられます。膝が痛いとか腰が痛いとか、太ももが筋肉痛だとか。あるいは、腰が引けているとか手首が緊張しているとか、背中が丸まっているとか。腰を切れと言われても切れませんし、自分では姿勢がよいつもりでも悪いと言われるから、なぜだろうと考える。そうやって一つ一つ積み重ねていくうちに、今まで知らなかった筋肉の動きや、身体の感覚に気付くようになる。それで、自分と対話しているだけならすごく楽なんですが、合気道の素晴らしくてかつ嫌な所は、常に相手とも対話しなければならないことです。稽古をしてみるとやはり出来ていないと気付くから、決して安易な道に逃れることが出来ない。それが悔しくもあり、非常に楽しくもあります。そしてそれは、第一に本当のことを教えてくれるみなさんのおかげです。大学の内に少なくとも、自分の姿勢と、よい稽古仲間や指導者を見極める目ぐらいは身につけられたらと思います。

 「   」
三級 R
 私は合気道を始めた理由の一つは憧れた袴だからですが、なかなか他にやりたいことで時間もなく、大学の勉強も、商社でのアルバイトも、社会貢献も、部活全部両立するのは難しいですので、他の人比べると、稽古する時間は少ないかもしれません。なので、制限される稽古の時間をきちんと使わないといけないと感じます。
 また合気道を通して日本の武道を知り、精神的体力的に成長させていただけているのを感謝します。
 今まで勉強になったことを部活の中だけではなく、生活の面でも活かしていきたいと思います。後悔のないように、頑張れるだけ頑張りたいと思います。

 「   」
三級 N.S
 僕が大学に入って合気道を始めて早くも一年が過ぎました。一年生の時とは違い、平日稽古や和氣会に参加するようになり、稽古量が増え、合気道に対するモチベーションが益々高くなり、意欲に満ち溢れています。
 また、今まではただ教えていただくのみの立場でありましたが、新入生が入って来ることで、教える立場に回る機会も出て来ました。その中で、自分自身の技への理解や基本動作が、どれ程大切であるかということを再認識しました。さらに、新入生を見ていると初心に戻った気持ちで稽古をすることが出来ています。
 前回の審査では力強さに欠け、元気の良い演武をすることが出来ていませんでした。それ以降、普段の稽古の中で如何に形だけの技をするのではなく、技を決める意思を持って行うかに念頭をおいて、稽古に励んで参りました。今回の審査では、その成果を百パーセント発揮できるように一生懸命頑張りたいと思います。

 「   」
 三級 M.R
 前回の4級の昇級審査では、元気よく動くことが出来たのですが、次々と技をやろうとしすぎて、焦りすぎて細かい所がおろそかになってしまいました。今回は細かい点について注意を払いつつ、勿論大きな動きで若者らしく元気よく技が出来たらと思います。大学に入って合気道を始めてから1年が過ぎました。 新入生が入って来て、彼らに教えていて自分もこんな感じだったなと懐かしく思います。同時に、技を上手く教えられなかったり、自分の曖昧な所を自覚したりと、今まで以上に努力をして上手くなろうと強く感じています。
 一見して単純そうに見える技に限って、相手を崩したり捌いたりするのが難しいので、色々と研究していきたいです。
 座技の正面打ちの一教から四教は、いずれも自分の中心で技をかけるというのが自分の課題です。立技の突きの小手返しや両手取りの四方投げでも同様に中心からずれない事を意識していきたいです。
 最後になりますが、審査でどうしても緊張してしまうと思いますが、後悔しない様に動いていこうと思います。

 

 「   」
四級 N.S
 わたしは今回の昇級審査で、合格すれば4級になります。
ハ審査が決まった時、「これで4級や!!やるぞ!!」という気持ちで燃えていました。しかし、同時に、「みんなは3級なのに...わたしはまだみんなの後ろを追いかけているんだなぁ」と焦りもしました。「3級と4級の差って4級と5級よりも大きいな」と考え、ついつい周りと自分を比べがちになっていました。
 しかし今回の昇級審査を目前に控え、もう少し自分は謙虚になるべきだと思いました。どんな人でも最初は無級からスタートするのに、結果ばかり求めて気持ちが浮足立ってしまえば、結果は何もついてこなくなります。自分の目標は周りに追いつくことではなく、自分の熱しやすく冷めやすい軟弱な性格に喝を入れることと、憧れの袴姿になることだったはずです。そのために自分は自分が出来る限り最大限の努力をしているのか?、努力していて周りが3級で自分が4級なのを歯痒いと思うのか? 正直自分にはそうだと言える自信がありません。
ハもう少し謙虚になり、4級では5級を受けた時のわたしとは違う自分を表現したいです。一歩一歩着実に成長するためにも、この昇級審査を大切に自分にできることをちゃんとしていきたいです。

 

 「きん張したしん査」
子供の部準九級 Y.A
 今回のしん査は二回目だったけど、場所が広い「ひびき」だったり、人が多かったりで、初めてのしん査よりきん張しました。
 初めてのしん査よりはうまくなっていると思うけど、「練習の時の方が、のびのびやってて上手に見えたよ。」と母に言われました。私も確かにそうだったかもと思いました。
 自分で一番いけないと思ったところは、元気よく前を向いてできなかったところです。これからは元気よく前を向くように気をつけて、次のしん査にはできるようになりたいです。
 

 「二回目のしん査」
 子供の部準九級 Y.K
 わたしはしん査を受けてみて、前受け身は初めてのしん査の時よりは出来たと思うけど、後ろ受け身は片方しか出来てなかったので、とてもとてもくやしかったです。でも、体の転かんとしっ行は上手と言われてうれしかったです。
 今後の練習は、注意されたことに気をつけてがんばろうと思います。
 次のしん査は上手に、そして元気に出来たらいいなぁと思います。


 

   中里さんへの追悼文
池田 憲夫
 平成二十年三月から、みなさんを暖かく厳しく、情熱をもってご導道下さった、私の師匠のお一人、合氣道大好き、稽古大好きだった中里有宏(なかざとくにひろ)さんが、今月四日、膵臓ガンのため、天国に召されました。私は、三月三十日に前日お電話を頂戴し、ご自宅にお邪魔しましたが、「今日は最悪の日だ。」と仰って、病院に向かわれました。ですので十五分も話したでしょうか。その後、電話もメールを通じなくて、どうしたものやら、また、どうしたらよいか、迷っておりました七日になり、やはり一度ご自宅を訪ねてみよう、入院中なら、病院まで、嫌がるだろうが、お見舞いに行ってみようと、意を決して、まずはご自宅に伺いました。ら、奥様がおられまして「実は、上に行きました。」と仰ったので、二階に休んでいるとばかり判断し、「じゃ」と言ったら、「二階ではなくて天国です。四日に亡くなりました。」その言葉を聞き、一瞬何を言っているのか解りませんでした。呆然としていました。神道と言うことで、ご焼香もなく、ただただ黙祷をするのみでした
 昨年、五月頃から、どうも体調が思わしくない、と何度も仰っていて、七月には、全くの膵臓ガンの初期である、今の内に手術をとお医者さんに言われましたが、手術の順番待ちで確か八月になりました、手術は。気づいたかかりつけのお医者さんは、名医で普段なら見過ごす、全然気づかないところを発見し、初期も初期であるし手術も成功したと安堵したところでした。年末になり、また、どうもおかしいとなり、診てもらったところ、転移が認められ、薬の投与が始まりました。この薬があまり効果がないので、別の薬にしたところ、今度は、副作用がきつく、難儀しておられました。
 生前の形見分けのようになってしまいましたが、頂いた書籍DVD、ビデオなどがあります。以下に記します。読みたい、覧たいというご希望の方は、お貸しいたしますので、お申し出下さい。
 ・ 多田師範(中里さんの師匠)のDVD
 ・ 規範 合気道 基本編 DVD
 ・ 小林保雄師範のDVD
 ・ 合氣道新聞のバックナンバー DVD
 ・ 「植芝盛平と合気道」と「続 植芝盛平と合気道」
 ・ 「合気道開祖 植芝盛平」
 ・ 「中村天風と植芝盛平  気の確立」
 ・ 心身統一合気道 演武大会のビデオ 二巻
 ・ 真向法(合氣体操に入っています)のビデオ

 私は、学生時代は、サイトでも紹介していますが、合氣道コース専攻のような生活をしていました。偶々、大学が上六にあり当時の本部道場
(小林師範の道場)が、天王寺公園内にあり、近いせいもあり、クラブ道場、また、寮の帰途上にある、八戸ノ里の町道場(木村先生のご指導)でも、稽古をしていました。一回性の十月頃に、疑問が出てきて、退部を考えていました。でも、半年もしないで結論を出してはいけないと思い直しました。寮で同室のまた、合氣道部に入部するきっかけを作ってくれた島田さんが、その道場に稽古に誘って呉れました。そこでは、今から思うと、熊谷さんと中里さんが24才ぐらいでしょうが、ばりばりと稽古をしている時期でした。お二人は、私にとって雲の上も上の人でした。お二人は同年齢ということもあり、良きライバル、闘争心むき出し、稽古仲間、でした。稽古中に、あちこちから血を流すことは当たり前の事で、驚くことではありませんでした。今のように擦りむいたぐらいで、泣くということは考えられません。勲章でした。私は、熊谷さんが一時、福島にいたということで、大分、一番可愛がってもらいました。その、熊谷が可愛がっているならと言うことで、中里さんも可愛がって呉れました。熊谷さんは、厳しいけれども、恐ろしくはなかったですが、中里さんは、厳しい上に、技が冷たい、氷の刃のように感じられました。人格が氷とは違います。真剣で斬られる(斬られたことはありませんが、そのような感じ)危ない感じでした。特に、私のように動作の鈍い人間にとって、動きが速くて早くて、大変でした。後で聞くと、早稲田大学の理工学部卒で、主将まで務められた人との事でした。理系は実験また実験でほとんど時間的に余裕はないはずと聞いていたので、驚きでした。集中力の違いですね。
 勤務の転勤転勤で、その後は、ご無沙汰をしておりましたが、数年前の全日本合氣道演武大会で、札幌の団体からと、稲門会(早稲田の卒業生の会)から、出場されていました。声を掛けていただき、その後の生活をお互いに数時間お話をしました。私が、入院中には、錬棒をお贈りいただき、暇だろうから、これで少しは鍛えておくように、との、命令でした。使い方も分からずに、暗中模索で、使用していました。退職され、実家の高槻市に戻られるとは、聞いていましたが、ある日、岡会堂に行くと、見たことのない人が、いて、一瞬、分かりませんでした。それが、中里さんとは。最初に皆さんに中里さんを紹介した時には、「カミソリのように切れる技をされるので、、、。」と記憶しています。本当に、三十数年前に、いや四十年ほど前にタイムスリップしたようでした。あれだけのブランクがあるのに、全然変わっていない、全身全霊で、当たっている、情熱が燃えている、なんという人だろうと、感激でした。それからは、和氣會の雰囲気が中里さんを納得させたのでしょうか、稽古に来て指導してくれるようになりました。あの理論は、理合いは、どこから生まれるのでしょうか、やはり理系の人だったからでしょうか、頭脳が違っていました。この数年、たびたび、急に稽古を休むとの連絡が入りました。体調が思わしくないと言われ、私は心の中で、俺も体調は思わしないが、そんな事は言っていられない、中里さんらしくないと、批判的でした。調子が悪くても、最悪の状況でも最高の結果を出すのが、合氣道だ。と思っていたものですから。今から思うと、その頃から、ガンが少しずつ身体をむしばんでいたのかも知れません。済みませんでした。
 神前でも、熊谷さんと申しましたが、三人、いや、小林師範と四人で一緒に稽古をしたいでしょうが、まだまだ、呼ばないで下さい。もう少し、ウン十年お待ち下さい。その際には、是非とも翁先生をご紹介下さい。お願いします。ところで、そちらの、畳は、痛くないですか。関節技は、どんな感じですか。技は、全て呼吸投げになるのでしょうか。
 中里有宏さんのご冥福をお祈りいたします。

戸倉 光明
 初めて、お会いしたのは2002年頃の5月第四土曜日の日本武道館、正面玄関でした。池田師範からご紹介をいただだいて、名刺を取り交わした名刺が残っています。 
 一昨年の全日本合気道演武大会で、組ませていただいて演武をしました。小生が旅行をしていた為に稽古を出来ず、演武大会当日朝に口で前稽古をしてぶっつけ本番の演武大会が、印象に深く残っています。
 平成20年の9月11日にニューヨークに行く前には、中里氏がかつて6年間余にわたり駐在された経験からの親切な助言をいただいたことは、街の歩き方や細かな配慮が沢山あり、大変助けになりました。帰国したあとにも、まだ小生が無作法にも帰国の挨拶もしない内から、旅の様子と安否を気遣ったメールをいただきました。このような、気遣いは中里さんの優しさであって、さりげないように見えます。気遣いの深さは、理解されにくかったかもしれません。
 今年の3月19日に小生が送ったメールに、返信メールをいただきました。小生が阪大外語部合氣道部の春合宿に参加して後、中里氏の状況を知りたくなりました。合宿の報告を兼ねて近況を連絡しましたところ、氏の状況についての返事がありました。以下にやり取りしたメールを貼付けます。
 中里さんには、いずれは彼岸に参上しました折りには、合氣道も含めてじっくりと四方山話をしたいと思っています。ご冥福をお祈りしております。   戸倉光明
ーーーー 以下は、取り交わしたメールです。ーーー
中里様                     2011/3/19 0:24

こんにちは。具合はいかがですか。 
 近況ですが、
 3月6日から13日までが、大学の春合宿が高知県須崎市の明徳義塾校をお借りして行われました。
 小生は、10日から最終まで参加しました。今回は池田師範も車を運転して11日から13日まで参加されました。
 途中 11日はあの震災で、土佐の海辺りで2.5mの津波があったりで、交通遮断が続いたことでした。
 地震関係で、中里さんのお知り合いなどで被災された方が、おられないように願っています。
 3/20日は豊中和氣會で、学生の弐段と初段の審査があります。同日夕方は、大学合氣道部OB会の総会・懇親会がありまして準備をしているところです。 
 まだ、寒暖が行き来していますので、気を引きしめたいところです。
そうそう、野村辰宏が、この三月末からマレーシアに駐在員(関西ペイント)として赴任します。
 合宿の最終日 :写真省略

 野村君の赴任祝い?の、呼吸投げ300回。:写真省略

 では、またお便りします。 戸倉光明 。
 戸倉様                   2011/3/19 10:48:26

 ご挨拶・ご連絡有難う御座います。
 また、和気藹々(雰囲気!実際は違うのかも?)の合宿写真有難う御座います。

 私の方は12月から抗がん剤投与して3ケ月経過しましたが効果なく、また、転移が確認されました。
3月からは薬を変えましたが、副作用が強く、体調が芳しくなくそのため、外出出来ない状況です。
(今月末までの第一クールが終わるまでじっと我慢です)

 今回の地震で被災した知人、親戚はいませんので、幸いではありますが、毎日、一日中「被災状況」のテレビ、ニュースを見ていますので、後手遅い対策にイライラして来ます。

 明日の昇段審査と懇親会で皆さんの門出を大いに祝って下さい。

 

 「中里さんへ」
 太田 吉彦
 ちょうど保井さんが長いお休みから復帰されて、「そういえば中里さんはまだ庭で木剣を振っていらっしゃるのだろうか」と考えながら稽古をしておりました。
 手術をしなければならないという話を聞いた時、その理由をおっしゃらなかった事からかなり深刻なのだろうと予想はしておりました。
 そして訃報を聞いた時、自分でも不思議なほどあまり驚きませんでした。涙は出ません。ただ、何か切なく淋しい何とも言えない気持ちです。
 何回か中里さんの技の受けを取らせていただきました。
一緒に演武もさせていただきました。硬い岩のようなイメージでした。それは中里さんの性格や生き方そのものだったのだろうと受け止めています。
 色々とお世話になりありがとうございました。
 御礼申し上げます。

 植田 能茂
 私が初めて中里さんとお会いしたのは、2007年11月に結核に罹患したために、3ヵ月半合気道の稽古から遠ざかっていて、体調がかなり良くなってきた2008年の3月、久しぶりに岡会堂での稽古に参加した時でした。師範は自分の恩師だと紹介されていたと思います。その日は入院して体力も落ちており、前半でかなり息が切れていたため失礼しようか
と初めは思っていたのですが、中里さんの話が聞けそうだったので、結局後半最後まで残ってしまいました。
 後ろ両手取り一教、交差取り入り身投げ、四方投げなど手の使い方や足さばきで、同じ技なのに種類がこんなに増えるのかと驚かされました。その後私が交通事故にあって、また1年3ヵ月稽古に参加できませんでした。再復帰できたのが、2010年5月、そして7月には中里さんが検査入院、その後入院手術と続きましたが、10月の研鑽会では元気なお姿を拝見することができました。岡会堂に来られた時に、「もう大丈夫なのですか」と伺うと、「これからが大変です」と返事されていました。
 その後は稽古に姿を見せられることが少なくなり、今年4月に師範から中里さんが亡くなられた由承り、驚きと信じられない思いで胸が一杯になりました。
 体の使い方やさばき方など、本当に良く研究されており、合気道ではまだまだやり残したことがたくさんあっただろうと思われ、さぞ心残りであった事と存じあげます。
 天に召された今は、天国で周りの人々に楽しく合気道を指導されていることと思います。
 心より御冥福をお祈り申し上げます。

森田 孝則
 中里さんが始めて和氣會に来られた時に、池田師範から「剃刀の様な技」とのご紹介が有りました。確かに眼が鋭く近寄りがたく怖いと言う印象でした。稽古にもかかわらず打ち込めない、池田師範もそうなのですが正に眼で切られる。これはやはり修練されて方々の成せる技なのでしょう。しかし、袴を脱がれた中里さんは気さくな優しい眼をされた方で、酒席においては娘さんやお孫さんの話を嬉しそうにお話になっていらっしゃったのが印象的です。
 病床の中里さんのお姿を拝見していない私にとっては、未だに信じられない気持ちで「来たよ」と気さくにお出でになるのではないかと稽古に行くたびに思っております。
 ご冥福を心よりお祈り致します。

 「中里さんの姿と眼差し」
野村 辰宏
 現在、海外に居る身ですが、出発するほんの数日前に、中里さんから、錬棒は持っているか、合氣道関係DVDに興味はないか、ご連絡を頂きました。これから稽古環境に制限ができる身でしたので非常にありがたく、またそういったことに気をかけて頂いていることが本当に嬉しかったです。私、錬棒はまだ持っておらず、また、私がまだ経験したことのない先生の指導DVDをお譲り下さる、ということでしたので、ぜひとも、とお答えし、御礼を兼ねてお受け取りの方法についてお電話でご相談しました。その時の声にあまりお元気がなかったので、どうされたのかな、と思いましたが、癌が転移している、ということを知ったのは、その後池田師範からメールを頂いてからでした
上記の品に対し、ちゃんと御礼をお伝えできなかったのが心残りです。
  中里さんにご指導頂くようになったのは、確か大学4年生の夏合宿が終わったすぐ後頃からだったと記憶しております。非常に動きが速く、一緒に稽古させて頂くと、休む間がありませんでした。技の捉え方は非常に論理的でしたが、私が未熟なせいか、時々どうしても理解が難しいことがありました。もっと色々教えて頂き、中里さんの理論を理解できるようになれば、また違った角度から技を捉えることができたと思いますが、努力が足りず、そのレベルに達することなく、お別れとなってしまいました。
  中里さんは、いつも全力で頭と体を動かされているような方で、稽古で何かが議論の的になったりすると、次の稽古には必ず何らかの答えを持ってこられていたのが印象的でした。また、手術が終わって数週間ほどでもう庭で木剣を振られていた、というお話を聞いた時も、同様の印象を持ちました。「全力疾走」という言葉がぴったりで、稽古中も風を切る音が聞こえてくるようでした。合氣道に対する情熱があふれ出てくるようでした。
  私がお譲り頂いた錬棒やDVDは、結果的には形見の品のようになってしまい、私がお受け取りしてよいものか、と今にして思います。特に錬棒は、中里さんのイニシャルが刻まれ、かなり鍛錬をされた跡があります。中里さんの合氣道に対する思いが感じられ、ずしりと重いです。これほど重い贈り物は初めてです。お受け取りしたからには、中里さんの思いを受け継いで稽古していくしかないと思いますし、また、それを下の世代にも伝えていかなくてはならないと思います。
 中里さんは、その若々しいお体と精神に比べれば早くに亡くなられた感がありますが、人間にとって、この世で何年生きたか、ということよりもその人の「意思」がどれだけ永く生き続けるか、ということのほうがより重要と思います。そういう意味では、中里さんは私達の中でまだまだ生きておられますし、まだまだ頑張って頂きたい、と言う思いです。
 中里さんは、手術をされた後の稽古でも、実験と称してご自分の体の状態を客観的に見つめられておられましたので、きっと「死」に対しても正面から向き合われていたのではないかと、個人的には思っています。旅立たれるその瞬間も、研究者のような眼差しでご自分を見つめておられたのではないでしょうか。「なるほど、これが死か」というふうに。
 そんな姿が、私にとっての中里さんです。また稽古を、宜しくお願い致します。 

 「中里 有宏様」
安藤 信雄
 初めてお目に掛かった時、武田惣角師が現れたかと思いました。常に技の研究をされていたお姿を、小生も追って行きたく存じます。
皆で後方入り身投げの踏ん張りあいをしていた時、「できるかな?」と仰いながら、ぱっと投げられました。その時の受けをさせて頂いた感覚、『入り身とはかくあれかし』と小生の宝物です。
 人は死んで生まれ変わるのか、天に永住の住処があるのか知り得ませんが、合氣道の修行、和氣会のご縁、この世界にて深く絡んだ糸、共に結んだ糸は、容易に解けるものでは無いと信じております。
 今後とも、天の世界、次の世界においても、引き続きご指導賜りたく、今生での感謝とともに、お願い申し上げます。
 ありがとうございました。またお会いする日まで。

T.S
 池田師範からのメールで突然の中里さんの訃報を知り,しばらく呆然としてしまいました.お元気な姿の思い出しかないので,本当に信じ難い報せでした.あの大手術を受けられた後,一ヶ月ほどで稽古に復帰され,非常に驚いたことを覚えています.職業柄,手術の内容や大変さはよくわかっています.普通の患者さんなら,あんな早期に復帰できることはまずありえません.その驚異的な回復力は,これまで合気道で心身ともに十分鍛えられてきた賜物と考えます.中里さんが和氣會の稽古に参加してくださるようになり,それまでと違った雰囲気になりました.中里さんの合気道は理論的で,初心者にとっては難しいところもありましたが,系統立てて説明して下さり,合気道も科学的なところがあるのを知りました.合気道のことが少しわかってきた今,これからもっとご指導していただきたかったのに,それが叶わなくなりとても残念です.おそらく天国でも合気道を続けられることと思いますが,是非和氣會を見守っていただきたく存じます.中里さんを失った悲しみはいまだ尽きませんが,心より御冥福をお祈り申し上げます.                                            
M.Y
 中里先生のご逝去のお話を聞き、驚きと、そしてひどく残念な気持ちでいっぱいです。
 中里先生には私が大阪大学外国語学部の合氣道部に所属する時分、多くの御指導、御鞭撻を賜りました。
 初めてお会いしたのはひびきで行われる和氣會の稽古だったように思います。当時私は白帯で、ひどくたどたどしい合氣道をしていました。身体の動かし方も、技も、全てにおいて危なっかしい私を、中里先生は熱心に指導してくださいました。大学二・三年生のときなど、昇級、昇段審査の前に中里先生に指導をお願いしたことがあります。中里先生はふむふむと頷きながら厳しく、そして熱心に御指導下さいました。その際になかなか技がかからず、自分の力無さを思い知るばかりでしたが、中里先生の御指導はたくさんの知識を私につけてくれました。
 また和歌山県熊野で開かれた国際大会では道場奉納演武の際、一緒に組ませていただきました。あのようなハレの舞台で中里先生に投げていただけたことは生涯忘れることのない思い出です。今でもあの舞台の上で中里先生に投げられる光景を思い出します。背景が緑一色に染まるなか、中里先生が私を見据えているという情景です 。あの時は受けに必死でしたが、今思うと本当に幸せな体験だったと思います。
 挙げればきりがないのですが、このように中里先生には大変お世話になりました。合氣道の技についてはもちろん、立ち居振る舞いや、その理念に到るまで、本当に多くのことを教えていただきました。
 今後、これからも稽古を継続することが頂いた恩を少しでもお返しする方法と思いますので、教えていただいたことを忘れることなく、精進して参ります。
中里先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

Y.A
 2級の審査を受けたころだったでしょうか。
「なんだかんだ言ってね。袴をはいてから、ああでもない、こうでもないって言い合うのが、合気道のおもしろいところなんですよ」
 和氣会での稽古を終え、岡会堂の片隅で着替えをしていると、中里さんからこんな声をかけていただいたことが妙に印象に残っています。
 中里さんとの稽古の楽しみといえば、惜しげもなく披露されていたウンチクの数々でした。練り棒という一見ただの木の棒が、使いようによっては、見事な鍛錬の道具に変容することも、手には「筈」という部分があることも、ヨガでいうチャクラと丹田に深い関係があることも、間合いとテリトリーの関係も…、すべてが自分にとっては未知の領域でした。
 場合によっては、短い稽古の間にそれらが一度に開陳されるので毎回、早回しで名作映画を見ているようでした。しかも、合気道の稽古のすごいところは、ただ見るだけでなく、実際に手を取らせていただきながら、実演に参加できるというところです。
 和氣会での不思議なご縁で、中里さんがお亡くなりになるのと、ちょうど前後して初段を頂くことになりました。袴をつけてはみたものの、娘に言わせると、「お父さん白帯の方がよっぽど似合ってるな」と容赦ありません。そして残念ながら、中里さんに、袴姿を見て頂くことはかないませんでした。慣れない手つきで袴をたたみながら、中里さんなら袴のつけ方一つ、たたみ方一つから、どんな話が飛び出しただろうかと、ふと思うことがあります。
 「なんだかんだ言ってね。袴をはいてから…」 
今にして思えば、あれば、中里さん流の叱咤激励だったのでしょう。永遠には続かない、普段の稽古の一回一回がどれ程貴重なものか、最後に改めて教わりました。
 本当に残念です。

O.C
中里有宏先生の突然のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
 先生の突然の悲報にただ呆然とするのみで、未だに信じることができません。先生のお姿をお写真で拝見するたびに現実に先生がいらっしゃらないことを認識せねばならず、底知れない悲しみと心に大きな穴が空いてしまったような感覚を覚えます。
 先生が和氣會にいらっしゃったのは、三年前の春先でした。私は三年に渡り、先生に熱心なご指導を頂き、幸運な日々でした。先生の剃刀のような鋭い技は今でも感覚として鮮明に覚えています。非常に正確で切れ味の良い二教や豪快な入り身投げなど、様々な技の受けを取らせて頂き、今では私の糧となっています。私の武道の基礎を作って頂き、心から感謝しております。先生の技をもう二度と受けることができないことが、悔しく悲しいです。
 また、先生とは行き帰りの電車でご一緒することが多く、多くのお話を聞かせて頂き、そこで得た考えのおかげで、私は何度も救われました。例えば、私は議論の場で緊張し、よく人に呑まれてしまうことがありそれを相談すると、先生はそれを私の呼吸の浅さが原因と見抜かれ、『呼吸が浅いから、心も焦っている。もっと呼吸をゆっくりしたらいいよ。』というお言葉を頂きました。私は、先生に言われて、初めて自分の呼吸の浅さに気付き、それが自分の精神状態と連動していることを認識することができました。先生のお言葉は今では私の宝で、その後私は何度も救われています。このように先生から頂いた数々の言葉を日常ふと思い出し、改めて先生から頂いた言葉の大切さを実感し、心から感謝しております。
 私たちは先生の技や言葉を直接は聞くことはもうできませんが、先生に投げて頂いた感覚、頂いたお言葉をよく思い出し、先生に教えて頂いた技を繰り返し稽古することで、技の中で先生と再びお会いできると信じております。
 また、先生から頂いた練り棒は私の宝の一つで、先生がそこにいらっしゃるような気持ちになります。日々よく練り直し、先生の合気道への思いを感じることができるよう精進することを忘れません。
 今まで多くのご指導を頂き、誠にありがとうございました。中里有宏先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

 「中里 先生を偲んで」
S.K
  2008年の春。
  岡会堂の玄関前にて諸先輩の方々雑談しておりますと西の方より小柄な方が近ずいて会釈されます。
 新入生、、、やろか、ちょっと雰囲気が、、、。
 申し訳ありません。この道数十年、中里先生との出会いでした。
 この後数年間、ご指導頂ました。まさに手取り、足とり、いつも笑顔でした。残念です。大変悔しいです。
 中里 先生。先生との思い出は沢山あるんです。
 初段披露の受けをされた事。小手返しの受け、真っ直ぐな足の回転に驚きました。常に力強く、そして厳しく、武道をご指導戴きました。
 今年明、カムバックされ楽しみにしておりました矢先の訃報です。
 今となっては最後となりました、豊中クラブにおける{正面打ち入り身投げ}です。あのときもいつもと変わらず力強いご指導でしたが、、。
 あまりにも早いお別れです。
 心より、ご冥福をお祈りもうしあげます。

R.S
 中里先生が合気道に対する熱意と真摯な気持ち、研鑽に励まれる姿はまだ鮮烈な印象が記憶に残っています。先生のエネルギーを受継いでこれからも鍛錬を続けていきたいと思います。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 ありがとうございました。
     合掌
                      池田 憲夫 記

 

「今が一番若い!」
 池田 憲夫
  久し振りの阪大外国学部合氣道部の春合宿に参加してみました。高知に着いた当日の、3月11日に、東日本大震災は起きました。ちょうど稽古中で、明徳義塾の先生方が、生徒を出来るだけ早く帰宅させるように忙しそうに電話をしていました。どうも津波が来る恐れがあるので、道路が封鎖されたらどうにもならないという話でした。詳細は全然解らない状況でした。道路が封鎖されたと言うことは、後で知りました。当日参加してくれる卒業生が、迎えに行って下さった先輩とともに車の中で立ち往生。また、参加してくれていた卒業生が、仕事の都合でどうしても戻らなくてはならないと、宿舎を発ちましたが、にっちもさっちも行かずに、結局市内泊まりとなった次第です。テレビの放送を見ると、福島も大事になっていることが判明。戸倉さんは、「原子力発電所が危ないな。」と仰いました。うかつにも、福島県出身の私は、福島に原子力発電所がそんなにあるとは、知りませんでした。綺麗な海と、山しか。今、退避勧告が出ている地域には、幼い頃に、遊びに行ったことがあります。涙が出てきます。噂では、福島よりも、静岡の浜岡原子力発電所の方が幾倍恐ろしいそうです。そこは、震源地に想定されている場所に立地し、万が一があれば、200万人の被害者が出る恐れがあるそうです。
 どちらも夢でそれも悪い夢であってほしい。と思っています
 生きている限り生きていかなければならず、将来に、これからは、今が一番若いのだから、若さを発揮して、一途に生き抜いていこうと、思わせてくれた出来事です。

 平成二十三年三月

 「有難うございました。」
参段 森田 孝則
 私が最初に合気道に出会ったのは小学生の低学年だったと思います。亡き父と時代劇を観ていた時に悪役が主役の胸ぐらを掴んだのですが、掴んだ手首を捻り悪役が動けなくなってしまいました。あれは何、『何で動けなくなるの?』父曰く、『あれは多分合気道だろう。』子供心にやってみたい本当にそう思いましたが、当時はネットがある訳ではなく何処に道場があるかも分からず、子供の頃から柔道・剣道をやっていた父からはどちらかにする様勧められ剣道になり、残念ながら次の出会いを待つこととなりました。
 次の出会いは、結婚して実家での父の法要の時でした。偶々見た豊中市の広報に合気道の道場が載っているのを家内が見つけて見学に行こうと誘われたのですが、正直な所当初は家内の方が乗り気だったようです。なぜ私がしぶしぶだったかと言いますと、学生時代絞った体は見る影もなく、剣道の胴は紐が無くても落ちない(今は落ちます)。そんな状態で激しい運動等出来るはずは無いと思い尻込みをしておりましたが、見学しているうちに子供の頃の疑問がわき上がってきて、『どうしてもあの時の疑問を知りたい』家内とその日の内に入会しました。
『よろしくお願いします。』と師範に申し上げたところ、『入会されるんですか?』と意外そうなご返事を今でも覚えております。理由は私の体型にあったこととはおもいますが・・・
 入会当初は和氣會の会員数が少なく、大阪外国語大学の現役生とOBの方が中心で後は数人の子供達と先達の白帯そして私共夫婦、私共夫婦以外全員が黒帯と言う事もしばしばで、岡会堂の入り口で足が止まってしまう事もありました。
『気が重くても、練習すれば元気になれる』あるOGの方がこの様なことを仰っていらっしゃいました。技が分からず、覚えられず、落ち込んだ時等はこの言葉を思い出し、筋肉痛と青あざに耐えながら練習を続けそれでも覚えられず、ご自分の教え方が悪いのではないかと、真剣に悩んで下さる方々もおられ益々落ち込んだものです。その様に教えて頂いた方々も社会へ出られ、それぞれにご活躍されているご様子。お会い出来なくなるのは寂しいのですが、これも門出と思いご健闘をお祈り致します。
 今では和氣會会員の大人の部では黒帯の方が多くなりましたが、新規の成人の入会者が無く少し寂しく思っております。ある会員の方が和氣會のホームページで私の紹介欄(決して自慢している訳ではありません)をご覧になり『中年からでも出来るんだ。』そう思われ入会されたそうです。そのような方が一人でも多く見学に来られる様頑張りたく思います。
今までご指導いただいた師範始め全ての方々、共に汗を流した和氣會会員の皆様にお礼を申し上げます。
 有難うございました。

 「二段審査に向けて」
弐段 T.S
 今回、二段審査を受けさせていただける事を、非常に嬉しく思っております。大学の合氣道部での幹部生活の終わりに、このような晴れ舞台を持つこと ができたことが、非常にありがたいことだと思っております。
 今年度は、私の合氣道生活にとって非常に重大な一年間でした。伝統ある合氣道部の主将になり、合氣道や、合氣道部について考える時間が生活のほと んどを占めていたと言っても過言ではありません。今までの合氣道人生の中で、最も深く全身から合氣道にのめり込んだ一年でした。と同時に、この一 年は、僕を合氣道の世界にいざなって下さった恩師H田先生の亡くなられた年でもあります。ふまじめな生徒で、何かしら理由をつけては休んでいまし たが、道場の人たちにはとても良くしていただいたものでした。小学生だった当時は、合氣道をしている友人は周りに一人もおりませんでした。もしかしたら自分がやっているのが何なのかも、よく理解していなかっ たかもしれません。しかし、私は合氣道を通して、周りの友達と違うことをする楽しさの他に、身体の上手な使い方や、礼節、自分に厳しく他人に優し くする心持ち、そして何より自信を身につけることができたと思っています。一つ一つの技は、合氣道から離れると忘れてしまいますが、合氣道を通じ て得たこれらのものは、私の人生を支えてくれた重要な基礎になっていると思います。和氣會でたくさんの子どもたちが稽古をしている姿を見ると、ど んな気持ちで稽古をしているのかがとてもわかります。自分が何をやっているのか、何が正解なのかは多
分まだわからないと思いますが、続けていけば いろいろと身に付くものがあものです。
 合氣道で得たものを大切にし、様々御教授下さる皆さまに感謝をして、今後も合氣道を続けるつもりでおります。

 

 「合氣道における当て身の重要性」
弐段 S. S
 翁先生の、「実戦における合気道は、当身が七分、投げが三分。」という言葉はよく知られている。実戦において、打撃の凝縮された力というものは、 生き残るためには何よりも重要である。実戦を経験した人たちがこういった記述をすることは納得のいくものだ。
 翁先生は合氣道を「愛の道」と呼び、憎しみや衝突ではなく愛と協調の力を信念として合氣道を発展させ、深遠な境地に達した。これは、合氣道で当て 身を使用することに一切矛盾するものではない。
 私はイングランドと日本の様々な道場で稽古をしてきて、当て身を使用する道場、当て身がとりわけ重要視されていない道場、そして一切当て身をしな い道場をも見てきた。以下に当て身の使用に関しての見解と、合気道の稽古に当て身がもたらす利点を挙げてみる。
・受けと取りが当て身を用いることにより、集中力が高まり(heightened stateof awareness)、次の行動への備えができる。
・当て身により受けと取りの正しい間合いがわかり、攻撃・防御どちらのためにも正しい角度(correct angle)が作り出される
・この正しい角度とは、取りは受けを攻撃できるが、受けは取りに攻撃できない角度である。
・受けのタイミングと正しい角度は、過度にバランスを崩すことなく、取りの攻撃にさらされすぎない、正しい当て身の稽古になる。
・取りが受けの中心を攻撃し、受けの注意をそらすことができれば、それによって受けのバランスを崩し、技をするための隙を作り出す。
・全身と四肢が武器になりうるということを前提に置くことでどこにも隙がなく、攻撃にさらされることのない、正確な間合いと角度の重要性に気づ くことができる。
・攻撃でも守備でも、両手を使うということは動きのバランスを良くし、肉体の協調とつながりを高め、適切な反応を調整する(天秤ばかりのよう に)。言うなれば、二つあることは一つよりも良いのである。
・当て身の使用を通して、取りと受けは全ての関わりあいをどのように受け与えするのかを学ぶことができ、当て身により絶えずお互いに挑み続けるこ とで合氣道の不断の改良が得られる。
・当て身の稽古は、武器稽古に必要な正しい精神(right spirit)をもたらす
・合氣道の重要な動きである入り身は、当て身の使用により成長する。
・合氣道がマーシャルアートとして認められるには、武術的な技も求められる。すなわち、当て身の実施は続けられるべきである。
・他の武術との関連に置いて、合氣道家は武術としての合気道の起源を理解し、その知識を実践することができる必要がある
・合氣道では限られた打撃を用いる。突き、正面、横面。それゆえに、合氣道家がこれらの基本的な当て身を身につけられないというという言い訳は全 くない。
・他の武術との関係や一般的な安全の点から言うと、合氣道家は稽古を通して、身体の致命的に弱い場所はどこに位置しているかを理解し、知っている 必要があると思う。
・当て身の使用は、全身の注意・覚醒を高め、一瞬にして繰り出される爆発的な力を鍛えることができる。
・当て身を用いない合氣道家は、相手ではなく技に集中しがちである。そうして、視線と関心は手に向かい、身のこなしは止まってしまい、取りと受け の間合いは狭くなる。こうなると身体は小さく閉じてしまい、周辺の視界は失われ、攻撃にさらされることになる。
・大切なことは、当て身の使用により技の流れやリズムを止めないことである。つまり、当て身は(流れを)止めることなく(動き、集中、意識を)止 めるのである。

 安定していて、冷静かつ敏捷で、開かれた心を伴った、素直な視界と集中した精神は、合氣道の稽古で用いられる全身全霊の氣を込めた当て身を促す。 そうして、以下の文章が正しいことを確信させられる。

 合氣道に当て身はない。合氣道全てが当て身なのだ。

 「   」
初段 I.Y
 この度、初段審査を受けさせていただくことになりました。合気道を始めてまる二年が経ち、長かったような、短かかったような感覚をいだいています。一年生の頃は週一回の稽古しか参加することが出来ず、技を覚えては、一週間後には忘れての繰り返しだったように思います。二年生になってから稽古時間は増えたものの、自分の実力に対してもやもやすることも少なからずありました。そして今に至るのですが、正直私自身、初段に見合った実力があるのか疑問に思うこともあります。今までの先輩方に失礼ではないのか、と思うこともありました。しかし、吹っ切れようと思います。うじうじするのはやめて、目の前の演武にすべての力を注ぎたいと思います。自分の力を出し切って、最高のものにします。初段に見合わないのであれば、見合うように、これからの稽古に励みます。この審査での演武は私の全力です。審査の程よろしくお願い致します。

 「4級試験」
四級 H.K
 稽古を、すればするほど まだ早いなぁ!早いよなぁ!思いつつ、挑戦することにしました。本当に 当日は、緊張しました。座り技一教の始めから一歩目の左の足が、残ってしまい、しまった!後は、受けの方に ついて行くのが、精一杯でした。終わった後から申し訳なく思いました。これにめげずに、諸先輩の指導の元 一つ一つ、気を付けながら、稽古に精進し三級を、目指したいと 稽古に励みたいです。

 

 「   」
子供の部 七級 K.S
 試験はきんちょうしたけど、練習どおりできました。次もまた試験を受けたいです。

 
 「   」
子供の部 九級 Y.S
 僕は、合気道の試験で、九級に合格できたので嬉しいです。次は、帯の色を変えたいです。

 「   」
 子供の部 十級 T.S
 ぼくは、はじめての審査を受けました。
ちゃんと出来るかドキドキしました。でも審査が終わって、うまく出来たと思ったのでほっとしました。

 平成二十三年一月

 「   」
 一級 I.Y
 この度、一級審査を受けさせていただけるということで、最近、稽古で感じていることを書かせていただきます。
 この頃、稽古で技が甘い、つまり抵抗される、攻撃されると言われることが多くなりました。確かに今までは、相手を崩す、技を効かすというよりは、技の形に重点をおいていたように思います。しかし、そこで留まっていってはいけないな、と最近感じるようになりました。確かにきれいな技は重要で、目指すべきことではありますが、それだけではデモンストレーションtなんら変わらないのではないか。多少形が崩れていても、初めのうちは思い切って技をかける。そのから少しずつ修正していけばいいのではないか、と思うようになりました。私はあと二ヶ月で幹部、それも主将という立場に立つことになります。まだまだ至らぬところも多々あるとひしひしと感じています。しかし、幹部には指導する際に思い切りというものが必要だと思うのです。ですので、今回の審査はこの思い切りを意識して臨みたいと思います。

 
 「   」
 四級 Y.D
 本当にここ最近の話ですが、普段から合気道について考える時間が多くなりました。毎回の稽古毎に自分は出来ないことだらけだと思うようになりました。それを成長と呼んでよいのかは分かりませんが、合氣道の楽しみ方が変わってきたように感じています。ただ同時に、ストレスも溜まります。稽古中とはいえ自分の分からない世界の言葉で話をされるとやっぱり悔しいですし、その言葉を早く理解出来るようになりたいと思います。知的好奇心と言うよりは、身体的好奇心とでも呼ぶべきものに、私は動かされているように思います。どの技も満足のいくものではありませんが、自分の出来る限りのことを表現できたらと思います。よろしくお願いします。

 「     」
 四級 N.L
 五級審査を受けさせていただき、ありがとうございました。私はこの時期勉強やらバイトやら友達やら、いろいろと忙しくなっています。
因みに、勉強にあたっても大学院に行くべきか、ずっと悩んでいます。行くとしたら平均点数が良くないと進学できないので、ハードルはますます高くなります。バイトでも世界一周の夢を叶うため、通訳やキッザニアのバイトを頑張ってお金を稼いでいます。また経営者になりたいので、今もレディース服オンラインショップを運営しています。それに、昨年からずっとやっているボランティア塾も毎週土曜日の授業のため、申し訳なく土曜稽古に遅刻させていただいています。私が担当しているディベートの授業を代わりにしてくれる人がいないのです。
 にもかかわらず、合気道を続きたい、強くなりたい、合気道部の皆さんに会いたい、という気持ちはあります。
また前学期は和氣会に参加させていただけましたが、今学期はいろいろで忙しくなったり、自分の時間もほしくなったりしますので、行けなくなりました。行きたいですが、なかなか行けなく、残念に思います。
 これから時間を調整して、できればもっと稽古に参加するようにしていきたいと思います。また、具体的な目標を立てて、頑張って行きたいのです。というわけで、今回は4級の昇級審査を受けさせていただきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
 「昇級審査への心構え」
四級 C.J
ハ 今回の4級の審査では
ハ   座り技 正面打ち 一教
   座り技 両手取り 呼吸法
   立ち技 片手取り 後方入り身投げ
   立ち技 片手取り 四方投げ
   立ち技 横面打ち 四方投げ
   立ち技 正面打ち 入り身投げ
   立ち技 肩取り 二教
ハ以上の7つの技です。これは以前の5級の時の技とほとんど変わらない技なのです。2回もほぼ同様な技を以て審査を行う理由は、いったい何なのだろうかという疑問が起こるのは自然なのかもしれません。合気道に入門してまだまだ経験が浅いということで、審査のレベルを低めに設定していることもあるのでしょうが、より重要なポイントは他にあると思います。
 以前大阪で研鑽会が開かれた日、道主が仰っていたことにその答があると思うのです。その日に道主は基本の大事さについて強く語られていたと覚えています。五級と四級の審査の技に大して差がないのは、そのためではないでしょうか。様々な技を教えることも重要ではありますけれど、ただそれに集中したら完成度の低い、型を真似ているだけの技になりかねないと思います。それよりも大事なことは、数は多少少ないかもしれないが完成度の高い技を目指すことであると思います。特に高級の技というものはほとんどが基本の応用であるため、基本を磨くことが何よりも重要なのだと思います。基本の重要性は合気道に限らず、他の物事にも、例えば外国語を学ぶにしてもどれ程やっていても、基本が なっていないと上達できないように、あると思います。
 私は以上に書いたほどに基本を磨いているつもりではありませんが、基本が大事だということを意識して昇給審査に臨みたいと思います。そして、これからの稽古においても常に基本を磨くことを念頭においてしていきたいと思います。


 「   」
 四級 N.S
 合気道を始めて早くも八ヶ月となりました。僕自身、入部した当初は体も堅く、慣れない武道に慣れるのに必死でした。そのため、この八ヶ月で自分が大きく変わったという実感が最近するようになりました。初めての寒稽古は、冬の早朝からの稽古は寒さが辛かったのですが、その分、寒さに対して、少し強くなった気がします。
 最近、合気道の技において、いかに相手が力の入らない状況に導いていくかということを念頭において、稽古に励んでいます。座技両手取りの呼吸法においても、僕は体が小さく力も弱いので、相手の力がとても強いということを想定して、手捌きを試行錯誤しながら行っています。また、いかに技をスムーズに決めることができるのかということも意識していますしかし、あまり流れを意識すると、技の一つ一つの動きが雑になってしまい、苦労しています。しかし、ここを課題に稽古に励んできましたので、審査ではその成果を見せることが出来ればと思います。

 「   」
 四級 M.R
 前回の昇級審査では、緊張してしまって自分の思うような動きが出来ませんでした。今回はどうしても緊張してしまうでしょうが、大きな動きで若者らしく元気よく出来たらと思います。昇級審査が終わってから二度演武する機会がありました。人に見せる時、綺麗にやるというのは大事だと思いますが、やはり動きが多少荒くても、もっと思いっきりやるべきだったと思います。
 演武、昇級審査、どちらにしても思いっきりの良い動きをする、それが今の自分の目標であり課題です。
 肩取二教の当て身を入れてから相手を崩す時に、崩しきれない事があるのが大きな課題だと思っています。こういった所にも、やはり綺麗にやろうと固くなっている面が感じられます。他の技でも前から先輩達から言われている様に、ダイナミックに動ければ良いなと思います。
 最後になりますが、審査で緊張している中でも思う存分動いていこうと思います。

 「   」
 五級 N.S
 他の部員は合気道経験者だったり、大学に入る前は別の武道をやっていたりする場合が結構あります。わたしの同輩が一級だったと知った時はびっくりしました。その点、わたしは、中学・高校とテニスしかやってこなかったので、この世界に関してはまったくの素人です。腕の筋で何?体勢を崩す?呼吸法って?そもそも合気道って、武道ってどんなものなの?そんな初歩的な所からのスタートなので、他の人よりも頑張らなければ、という思いで部活に参加しています。稽古中は、他の人よりも一つでも多く自分のものにしてやろうという気持ちでやらなければ上達しないと思います。今回の昇級審査は初めての経験です。そうやって練習してきた自分の実力をぶつけられるいい機会になると思います。いつも周りは有段者有級者しかおらずわたしだけが無級で、はやくみんなに追いつきたくて練習していた面もあります。今回5級を取得したなら、それは自分の中での大きな一歩になると思います。そして、見ていただく方々に自分の中で最高の演武が見せられるよう、頑張りたいと思います。

 

 

 後記 原稿を認めている時には、やはり中里さんとの想い出が頭を過ぎり、いろいろと書きました。と同時に、今まで数年間お世話になった稽古仲間にも声を掛けて、みなさんのそれぞれの想い出を書いていただきたくお願いをしました。ご多忙中にもかかわらず、投稿下さいました方々には、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。     池田

 

 平成22年5月

 「想い」
池田 憲夫
 
 先日、戸倉さんから、ある本を紹介されました。
 私は、大学入学時には、合氣道を全然知らず、寮の先輩の一言で、体験入部した人間です。当然、植芝盛平翁先生を存じ上げなく、初段も翁先生が亡くなったその年に受けました。今もそれが悔しくて悔しくて、、、。以前、佐々木将人師範に、褒め殺しですが、「池田君、君なら翁先生の受けが取れたね。」と仰っていただき、嬉しかったことを今でも覚えています。それは、二十八歳の時でした。大阪外国語大学合氣道部が、道主 植芝守央 先生(当時は、本部道場長)をお招きしての(関西地区では多分初めてだったと思います。)、創部記念研鑽会式典を「ひびき」にて、開催しました。その時が、初めてお目に掛かった時でした。お見送りのために、新大阪駅まで行き、少しお時間があったので、お話を致しました。私が、「翁先生を存じ上げている方々が、自慢げに翁先生の事を話されることが、悔しくて。」「そんなことは、気にしなくてもいいですよ。」と、慰めて下さったことが、あります。
 さて、そんな事を思い出しながら、
 「開祖の横顔」が、その本の題です。翁先生の直弟子で、今は高段者の先生方の思い出話、どのように感銘を受けたか、を記したものでした。私が、普段合氣道に感じ、思っていたことが、それほど、外れていたことではないと、自負しながら一部を抜粋いたします。どうぞお読み下さい。
 

「継続は力なり」            
六段 越前 善次

  今年一月の合氣道本部道場での鏡開き式にて池田師範のご推薦により六段昇段させていただくこととなりました。身に余る光栄と感謝しております。ご推薦いただきました池田師範には改めて感謝申し上げます
  近況ですが、山口県に移り早いもので二年半余り、最近は週末に会社の仕事が入ったりして、なかなか思うように稽古できていないのが事実です。しかし、いつでもどこでも誰とでも合氣道の稽古ができるのも事実ですし、また「継続は力なり」ということわざは合氣道修行にも当てはまります。言い換えれば生涯を通して稽古ができれば、すばらしい力となるでしょうし、またそれは可能なことだと思います。生涯という大げさなことではなくとも、やはり真面目に稽古を継続することが大切なことだと思います。稽古できる機会を大切にして、細々ながら合氣道の稽古を継続していく所存です。
  本来であれば、池田師範のお手伝いをしなければ いけないのですが、遠方ということにかこつけてお手伝いできておらず申し訳なく思っております。稽古の継続をお誓いすることでお許しいただければと思います。また豊中和氣會、大阪大学外国語学部合氣道部の皆様とは稽古させていただく機会が少なく、これも申し訳なく思っております。帰阪時や合宿等の際はご指導、稽古をよろしくお願いいたします。

 
 「空色の鳥」     
参段 安藤信雄

 子供の頃に空色のセキセイインコを飼っていた。姉が駄々をこねて、ひな鳥を買ってもらったのだ。家族がそれぞれ勝手な名前で呼んだ結果、最後はちゅんちゅんさんという誰がつけたでも無い名前となった。
家の中で放し飼いにされていたので、フンは撒き散らすは、本は齧るはの好き放題で、いつも誰かの肩にのって、ちゅくちゅく鳴いていた。
十年後にちゅんちゅんさんは死んだ。死ぬ前は随分と弱って鳥かごに篭りきりであったが、ある日、のそのそと籠から顔を出し、久しぶりに肩に飛んできた。よろけているので籠に戻そうとすると、爪でしがみついて離さない。暫くのせていたら、すっと姉の肩へ行き同じ事をした。
次は母の肩、父の肩へ移り、次の日に見たら止まり木から落ちて死んでいた。そうか。お別れの挨拶だったのか。この時、小鳥にも心があることに気付いた。

 問うて曰く『鳥(あるいは犬)に仏性有りや無きや、これ如何に?』
私の答えは『有』である。
禅問答としては落第であろうが無かろうが、これでいいのだ。

自明なこと、簡単な事でも、自分で気付かなければ学べないことがある。ましてや、難しいことは尚更であろう。
 自分の心と体を合氣する事、人と合氣する事、天地の理と合氣する事。争わざること、ひとつになること。
 書物は勿論助けてくれるが、自分の人生で転びながら学ぶしかなく、
自ら学んだ事、その七転び八起きの道程もまた、尊い道なのだと思う

 

「弐段に向けて」
弐段 M.Y

 今回周りの皆様のお陰で、弐段の審査を受けることが出来ます。本当にありがたいことだと思います。気づけば初段の審査を受けた時から一年以上経つのかと思うと、驚くばかりです。昨年三月まで、私は大阪大学外国語学部合氣道部で幹部学年として、責任ある立場で合氣道と接していました。それは周りの皆様に支えられて、苦しいながらも学ぶことの多いものとなりました。私の人生のうちの貴重な体験だったと、その経験が出来たことをありがたく思っています。さてその後、私は上回生になりました。部を正面きって引っ張る存在の幹部学年ではなく、後ろからちょいちょいアドバイスをするような、そんな立場になりました。こうなると不思議なもので、気づけば私はなんだか、合氣道をおざ なりにするようになっていました。いや、おざなりというと言葉が過ぎるかもしれませんが、それまでよりも少しだけ、身が入らなくなったのです。それは思うに、「幹部学年を全うする」という、一年中目の前にあった目標が急になくなったためだと思います。上回生になったばかりの私は、己の気づかぬうちに腑抜けのようになっていたのだと思います。
 これはいけないと思って、変わりはじめたのは夏頃でした。合氣道部の先輩である野村さんの参段審査を、夏合宿の際に拝見する機会を得ました。これは私にとってはやはり大きな契機となりました。大学一年生の時に感じたような気持ちを、再び思い出すことが出来たからです。それは「合氣道ってすごいんだ、きれいで、かっこいいんだ」という純粋な感動でした。その体験は私の「合氣道やりたい、上手くなりたい!」という欲望をかきたててくれました。それ以来、弐段を当面の目標としました。
 弐段の審査を受けるに際して、私は初段と弐段の違いはなんだろう、と何度も考えました。初段は、初めの段です。そこから新しい気持ちで一歩、足を踏み出す時期です。では、弐段はというと、やはりその次の足、二歩目なのだと思います。初段ではじまった新しい合氣道人生を、弐段の二歩目でさらに進めていく。それは三歩目への挑戦のための足場固めだと思いますし、初段から抜け出すための一歩でもあると思います。私にとって弐段の審査を受けるということは、初段の自分に甘んじないということです。正直のところ弐段で求められる実力や技量がどれほどのものか私にはわかりませんが、私は自分の向上心のために、腑抜けた自分を脱却するために、ひとつの目標として弐段の審査を受けたいと思います。弐段を目指して、目標を持った私は、自分は合氣道が好きなのだと改めて知りました。誰のためでもなく自分の喜びのために合氣道をやっていると実感出来たのです。
 最後になりましたが、これまで池田師範をはじめたくさんの先輩方、和氣會の皆様に御指導、御鞭撻いただき、一緒に稽古出来ましたことは、私の人生において本当に大切な経験となりました。卒業後は熊本に戻る予定です。この経験を胸に、郷里でも合氣道を続けていきたいと思います。これまで多大な御指導を賜り、誠にありがとうございました。今後とも宜しくお願い申し上げます。

 

 「昇段審査を受けて」
初段 T.S
 
 この度は初段の審査を受けさせていただき,誠に有難うございました。約六年前稽古を見学させてもらい、袴姿の方々の流れるように美しく、切れのある技に魅了され、入門を決意しました。子供のころよりいくつか習い事はしましたが、どれも中途半端に終わり、なにも身に付きませんでした。入門後、同じ後悔を繰り返さないようにと、今まで続けてきました。稽古に行くのがつらい日もありましたが、稽古を終えると不思議に元気が得られ、すがすがしい気持ちになれました。和氣会の和やかな雰囲気の中、池田師範をはじめ皆様の温かいご指導のおかげで続けることができました。今回の審査は,越前さんの昇段祝い、弐段、参段の審査もあり、大変貴重な場で受けさせていただきました。何時もにも増して参加者が多く、さらに緊張も増しました。事前にイメージトレーニングしていたものの、想像以上に時間が長く、途中で技が出なくなり困りました。同じ技を繰り返しても技が途切れるよりは良いと聞いていましたので、何とか動き続けましたが、最後には息切れしてしまい残念でした。審査を受けて気付かされたことは、審査は自分の努力だけで受けるのではなく、受けを取っていただくみなさんの協力のおかげで受けることができるということ、特に今回は非常に多くの方々の協力、声援を受けまして、心より感謝いたします.初段を目標にしてきましたが、弐段、参段の審査を拝見させてもらい、初段は通過点に過ぎず、まだまだこれから精進が必要であることがわかりました。今後また新たな目標に向かって稽古を続ける所存です。これからもご指導宜しくお願いいたします。

 「     」
 四級 M.K

 初めての審査と東京外国語大学合気道部との演武会の際、思ったことは、いくつもの異なる技を連続して繰り出すことの難しさについてだ。
審査や演武直前の数回の稽古では、それらを念頭に置いた稽古をする。演武のために技の名前を覚え、演武の際に自分はどの技をどの順番で出すのか考える。その代り演武本番では無意識に、何も考えずに、畳みかけるように技を出す。
 しかし、これは私のような初心者にとり容易なことではない。実際、次の技が何かをど忘れすることもあるし、技の名前を覚えていても、その名前とその内容が即座に結びつかずに、ひどく間が空くこともある。ある技を終えたときに自分が何をしたのか覚えていないこともある。普段の稽古では、技をかける上でのこつや工夫を意識し、慎重に、一つの技を反復練習する。他の技との繋がりを考慮することがない。
 とはいえ、この難しさは記憶の問題ではないような気がする。受け側の最初の動作に応じて、反射的に反応できるまで、反復練習をする。これで解決できると思う。もちろんこれにどれだけの期間がかかるのかは分からない。自分の合気道に対する姿勢にもよる。
 私にとって合気道は週に数回の運動する機会を与え、健康をもたらしてくれるものだと思っている。つまり簡単な運動ができればいいのだ。このような姿勢の私には先に書いたことを達成するのは、長い時間を要するものだと思うが、これからも自分の体の健康を優先し、決して無理をせず、気長に合気道を続けたいと思う。

 

 「   」
 四級 H.D
 前回の審査からまだ一~二ヶ月しか経っていませんが、それだけの期間でも、僕は成長できたと思います。稽古をする機会が増えたこともあるかと思うのですが、僕は、「気持ちの変化」ではないかと思います。合気道を初めて数ヶ月のときは、まだ正直「しんどいなあ」という気持ちが強かったように思います。しかし、だんだん体の使い方もわかりかけてきて、自分の得意な技、好きな技もできて、稽古を「楽しい」と思うことが増えてきました。しかし、気持ちについてはまだまだだと思います。先日の稽古で、先輩から「攻めが足りない」とのお言葉を頂きました。僕自身では、自分から前に出られるようになってきたと思っていましたが、まだまだ気持ちが足りないなあ、と思います。体の動きだけにとらわれず、気持ちをもっと前に、これからも稽古に励んでいきたいと思います。

 

「    」
四級 I.Y

  合気道を始めて早七ヶ月半が経ちました。技も増え、基礎力も向上しましたように思います。しかし、ふと自分は本当に上達しているのか、と思う時があります。週一回の練習では、次の練習までに前回の技を忘れてしまったり、何事においても重要である「反復」すら十分に行えていないのではないかとも思います。しかし、その中で最善を尽くす、少ない練習機会を密度の濃いものにするごとが重要ではないかと思います。一回一回の練習を最善のものにする。そのことに重きを置き、夏合宿が終わってからの三ヶ月弱、実行してきました。そこで気付いたことは、練習を密度の濃いものにすることによって、以前の、極端に言えば一週間前の自分よりも進歩、上達していることを実感できるようになる、ということです。確かに「反復」が何よりも重要だということは言うまでもありませんが、このように「密度」も重要だと思うようになりました。これからも練習の密度を上げ、今日は昨日よりも、明日は今日よりも上達していると実感できるよう、練習に励んでいきたいと思うので、よろしくお願いします。

 

 平成21年12月

 「運?」

池田 憲夫
 私は、故郷(福島県)で、不幸があり、七月初旬に帰省しました。往復とも、夜行バスです。帰路、バスを見て、エンジンの音がやけにうるさくて、気にはなりましたが、仕方なく乗車しました。眠りが浅く、午前一時頃に目覚め、携帯音楽プレーヤー(いわゆるipod)で、時間を紛らわせていましたが、、内蔵バッテリーが切れ、ぼっとしていました。。これが幸いでした。二時十分頃、バスが左車線から、右に車線変更することを感じましたが、直ぐに左に戻り、「なんでやね?」と思った瞬間に、バスの左側に何かを巻き込んだか、ガリクソンの音がしました。でも、そんなに隙間があるわけではないので、バイクでも、と思ったら、以外に、その音が大きくうるさく、四輪車を巻き込んだのかな、でもそんな隙間はないはずだし、と判断。その瞬間、タイヤのバースト、右への蛇行、後続の車による追突、バスの横転、道路からの陥落が一瞬に頭を過ぎり、前の椅子をしっかりと握り、お陰で、バスの横転も陥落もなく、サイドレールによりかかり停車しました。富山県砺波市での出来事でした。ここで何かあったら笑われると、どうやって受け身をして、身を守ろうか等とも考えていました。お陰様で、かすり傷一つなく、無事でした。
 亡くなった義姉が見守ってくれたと思います。昨年、熊野本宮大社の御加護、戸倉さんから頂いた、サムハラ神社のお守りのお陰、以前、剣道の先生から頂いた、白光崇教の五井昌久先生の、白光の写真のお陰、もろもろの方々のお陰様で、と感謝しています。早速、熊野本宮へは、再度詣でてきました。
 不思議な、ありがたい、旅でした。

 
 『時』                     
壱級  O.C

 最近、時の流れが速く感じる。朝が来れば、いつの間にか夜になり、夜になれば、またすぐ朝になっている。気づいたら、一週間が経ち、一か月が経ち、一年が経っている。あっという間に時間が過ぎてしまう。光陰矢の如しである
 昔は、今日学校で教わったこと、クラブで学んだことなど、一日で成長したことを明確にし、一日の意味を明確にすることができる。しかし、今は、例えば私の場合、一日実験という作業をしただけで、それ以上に何もないのである。昔に比べて、成長するための刺激を受ける機会が少ない。しかし、それは自分が一瞬一瞬を大切にしていない結果だと最近思う。
 武道は、一瞬を非常に大切にしている。たった数ミリ秒の間に、命のやり取りをするのである。ほんの一瞬に自分の人生がかかっている。だから、武道ではたった十分の稽古でも真剣に頑張れば、多くの刺激を受け、考え、成長できるのだと思う。
 その考えは日常生活にもつながってくる。それは、平凡な日常でも、ただ単なる作業においても、一瞬をもっと大切にし、感覚を研ぎ澄まして生きれば、平凡な毎日にも多くの発見ができるはずである。そのためには、日頃から心を鍛え、集中力を養っていくことが必要なのだと思う。日常こそが稽古なのだ。『時』は有限である。一瞬を大切にして、充実した人生を過ごせるよう頑張ろうと思う。
 ※ 壱級の時の原稿を掲載することを忘れておりました。申し訳ないことです。お詫びいたします。

  『鬼』
初段 O.C

 鬼という言葉は、通常、冷酷で無慈悲な人といったマイナスの意味で使われます。しかし、ある一つのことに精魂を傾ける人という意味も存在します。仕事や研究、部活動を真剣に取り組んでいる人は、恐ろしく鋭い『鬼』のような気迫を感じます。
 今回の初段審査の目標の一つは、『鬼』のような気迫で技を出すことでした。極力時間を作って、稽古に励み、審査に備えましたが、いざ本番となると、緊張のためか力が入りすぎて、非常に動きが硬くなってしまいました。 しかし、気持ちだけは前に進むという思いで、一生懸命にやりました。うまくやろうとは思わず、力んでも力いっぱいに、強引にやりましたが、今はそれが精一杯のことで、これもまた成長の一つの過程だと考えています。力一杯に頑張り、その先に力を抜けた柔らかい動きが存在するのだと信じています。速く、柔らかい美しい技を目指してこれからも頑張ります。
 人生においても『鬼』のように真剣に取り組み、厳しい試練を乗り越えたその先に『仏』のような優しい心を得ることができるのだと信じています。
 最後になりますが、初段審査を受けることができるのは、多くの方々と稽古し、丁寧にご指導して頂いたお陰です。常日頃より熱心なご指導をして頂きました池田師範には、深く御礼申し上げます。また、いつも楽しく一緒に稽古をさせて頂いております和氣會の皆様には、心から感謝しております。旧大阪外国語大学合氣道部の先輩方、現役の皆様には、いつも丁寧にご指導して頂きました。本当にありがとうございました。皆様のお力添えがあったからこそ、これまで楽しく厳しく稽古を続けることができたのだと思います。今後とも、より一層の成長を目指して合氣道の稽古に励んでいきますので、どうぞご指導よろしくお願い致します。

 
 「   」 
壱級 T.S

 一級の昇級審査を受けさせていただくことになりました。
前回の二級審査から実に8カ月ぶり。8カ月も準備期間があったわけですから、前回よりもさらに成長した姿を披露しなければならないと自ら目標を定めています。そもそも、休みがちで続けていたとは言え小中学校時代も合わせると、僕は今年で自分の合気道歴の長さが11年目に入るのです。そういう意味で、同じ一級でも他の人よりも価値のある一級でありたいと僕は思っています。
 大阪大学外国語学部合気道部の先輩は、すごく美しく、力強く、巧みな合気道をされています。大学から合気道を始められた方がほとんどだというのに、「かなわないなぁ」と思う人がたくさんおられるのです。そんな先輩方を目標にして、最終的にはその先輩方から「あいつにはかなわないなぁ」と思われるように、頑張っていこうと思います。
 目の前の問題を自分から見つけてひとつずつ解決していき、成長し続けられるように意識していきたいと思います。とりあえず、目の前の昇級審査。「まだ一級だから」と甘えることのないよう目標を高く持って、頑張っていきます。

 「つづき」
 初段 T.S

 今回の審査は、一級への昇級審査の予定でした。ですが、予定はあくまでも予定なんだなと、今日思い知らされました。一級の審査を終了したところで、間髪を入れず初段の審査まで受けさせていただくことになったのです。まったくのサプライズでした。でも、「ここで取り乱してはダサい。ここでどっしり構えておかないといけない」と思い、審査中は頑張って自信を持っているように振舞ったつもりです。体力的にもすごく不安でいっぱいでしたが、それを悟られないように、またどれだけ疲れても自分をだまそうと思って、がむしゃらに元気を出していくように心掛けました。ただ、技の説明のところで的確な単語が出てこなかったことや、時間配分を間違えて限られた取り方しかできなかったことなど、最終的に普段の勉強・稽古不足を露呈する結果となってしまいました。
 そもそも、僕は今回の一級審査に、「他の人よりも価値のある一級になる」という目標を掲げていました。前回の二級審査から8カ月も準備期間があったわけですから。また、僕は休み休み続けていた小中学校時代も含めると、今年で合気道歴が11年目に入ります。だから、他の一級の人よりも美しく、力強く、巧みな合気道をできるようになりたいと思っていました。
 そこに来て今回の初段審査です。本当に想像もしていなかったので、頭の上にタライが落ちてきたような衝撃を受けましたが、同時にとてもうれしかったです。自分は一級の肩書に甘えることなく、より上のレベルを目指せていたのかなと思いました。まだ合格になるかどうかわかりませんが、今回のサプライズ昇段審査では、少なくとも自分の普段の稽古を評価していただけたように思われ、それがとてもうれしかったです。
 まだまだ狐につままれた気分ですが、今回の審査の結果がどちらに転ぼうとも、今後はそのレベル以上の合気道を目指して心身ともに勉強していきたいと強く胸に誓いました。

『禊がれの業』
参級 Y.A

 体力不足でふらふらになっていても、腕が真っ赤に腫れ上がっても、都合で2部に参加できなくとも、和氣会での稽古を終えると、不思議と心と体がすっきりして、稽古の前とは違うことが分かります。普段は、仕事と暮らしも、建前と本音も、心と体も、バラバラになることが多く、なにかをやり終えたとしても、稽古のあとのような充実した気持ちになることは、多くありません。合気道は、禊ぎの業だと言われます。手元の辞書によると、禊ぎとは《罪やけがれを払うために身を清めること》とありました。三十路も半ばを越え、けがれているか、いないかと問われれば、間違いなく、けがれてしまっています。身体の灰汁もたまりにたまっています。それが、稽古後のわずかな時間とはいえ、どうしてこうもすっきりするのでしょうか。審査を機会に少し自らを振り返ってみますと、どうも今はまだ、稽古で禊いでいる、というより、禊がれているという感覚の方が近いのです。掃除機のように、相手をしていただいた皆さんに、自分のけがれや灰汁を吸い取ってもらっているとイメージすると、しっくりときます。(なんだかどうも申し訳ありません)。これこそ、自分ではなかなかつかめない「引力」のなせる業なのでしょうか。合気道では、「道場は実験の場で、日常生活こそ本当の舞台」とも言われるそうです。禊がれるだけでなく、禊ぎへ。道場のなかだけでなく、その外でも通用するしっかりとした業を養成するべく、これからも皆様のお世話になりながら、稽古を重ねていきたいと思っております

 「 感想」
 五級 H.K

 池田師範 諸先輩 外国学部の学生さん ご指導ありがとうございます! 前主将の宮崎さん 昨年は、本当にお世話になりました。人前で演武をするのは、奉納演武合同演武 審査の演武と三回目に、なります、「あっという間に 終わった。」 と言うのが、正直な感想です。その後 審査のときは、色々と 足の運び 小手投げの決め手など 反省ばかりでした。 奉納 合同演武の時は、何が何だか よくわからず 終わって ホット!しました。人前での演武は、僕にとっては 大切な 財産です。奉納演武は、久しぶりに神聖な気持ちになりすごく心が、癒されました。合気道始めて心から感謝してます。豊中和気會の皆様今後機会が ありましたら 一緒に参加しましょうね!
 廣光主将へ 僕が初段を目指すように考えたのは、H主将が岡会館で 初めて黒帯絞めた時の姿が自信に充ち溢れて大きくみえたからですよ、こんなオジサンが!ああなりたい本気に思いました。池田師範 和気會の皆様 外国学部の皆様 今後とも ご指導ご鞭撻 よろしくお願いします。                

 「   」 
 子供の部 十級 A.K

 審査は、とても緊張してたけど、膝行と体の転換がじょうずに出来て良かったです。それと(狩野)鈴菜ちゃんと同じ黄色の帯になって嬉しかったです。
今度は、もっと元気よくやりたいです。
 

 
平成二十一年九月
 
 「とかく世の中は、」
 池田 憲夫

 先日、車の中で、「秀吉の枷」という本のことを聴き、無性に読みたくなり、早速図書館から借りて読んでみました。既に読んだ方もおられるかとは思いますが、普段私どもが歴史の教科書、書籍等で知っている秀吉の姿、人格、考え方を、別の面から分析し、現した物でした。出自が出自なので、あのような業績が上げられたとか、信長に対しての感情がだんだんとわき上がってきたとか。極まれりは、本能寺の変は、云々とか。驚きました。
 佐々木師範のお師匠さんの、山蔭神道の山蔭師は、世の中を、またまた別な面から押さえておられて、現象面でなくて、その裏側にある、あるものの存在を説明してくれています。それが本当に正しいのか、どうかは、知るよしもないですが、あり得ることと最近は、思うようになりました。その方が納得できそうです。
 副島某さんの説も、同じような物でした。納得納得です。明治維新の原動力のなった人々の事、本能寺の変の事、どうぞお時間がある方は、、、。
 更に、驚いたことは、今をときめく「はんにゃ」のコントに、「本能寺の変」があり、そこに、前述の私が最近知ったことが話されていたことでした。世の中では、それは、既に流布されていたことだったのですね。

 

 「昇段審査を終えて」
         参段 N.T
  
 和氣會の皆様、お元気ですか。
 関東に来てから、1年半になりました。
 合氣道の稽古は、7年目です。
 先日、大阪大学外国語学部体育会合氣道部の夏合宿にて、昇段審査を受審させて頂き、お陰さまで参段の允可を頂きました。学生時代に、皆様と一緒に稽古させていただいたお陰だと思います。大変有難く思っております。
 
 参段の審査の中では、必ず「合氣道とは何か」という問いかけのあることを、先輩方の審査を拝見、見学した時に覚えていたので、審査の前にある程度頭の中で整理していました。これは、一般的なものとしてこのようなものだ、ということでもあり、同時に、自分にとってはこういうのものだ、ということでもあると思います。これは、何のために合氣道の稽古をするのか、ということと同じようなことです。意外と、「自分にとって~」ということのほうが難しいような気がします。好きになった女の子の、好きな理由を答えるのが難しいように…そういうことがあまりすらすら言えるようだと、逆にうそっぽく聞こえますね。
 全く未経験の人が合氣道を始める時、始める前から、自分が合氣道を選んだ理由はこれこれこうだ、とすらすら言える人というのは、意外とさっさと辞めてしまうケースが多い、と聞いたことがあります。そういう人は、始める前から合氣道のイメージを勝手に作り上げてしまって、現実とのギャップに我慢がならないのかも知れません(現実が悪い、ということではなく、あくまで勝手なイメージとの隔たり、と言う意味です)。
 私にとって、合氣道は全然知らないものとして始まったので、そういうものとは無縁でした。最初は自分の知らないことが入ってくることが単純に嬉しかったです。今思うと、新しい外国語を習い始めた時の感じと似ていました。あるいは、新しい楽器とか。
 自分が合氣道を始めた理由を訊かれれば、一応は答えますが、いつも答えが違うようです。要するに、正直な話が、色々な理由は全て後づけであって、全部本当のような、全部違うような気がします。
 ですから、「あなたにとって合氣道とは何ですか?」と訊かれた時も似たようなもので、答えればやはり色々な答えになります。ズバリと、簡潔に、自分でもしっくりくるような答えが言えればいいのですが、模索しながらの稽古です。
  話はかわって、審査の時、特に三人掛けの時は、青春を満喫しました。卒業してからもこんな気持ちになれることに、素直に感動です。直前に、1回生と2回生が何百回も投げられているのを見ているのでますます…!
 緊張、集中、燃焼、無心。
 終わった後は、少しの虚脱感があります。集中が強ければ強いほど、こんな時に涙が出るのかもしれません。さすがに泣いてはいないですが、それに近い気持ちを味わいました。このような気持ちになれたのも、受けを取って下さった、大阪大学外国語学部合氣道部の皆様のお陰です。有難うございました。
  これから、四段になれるようにまた稽古を継続致します。時折、大阪に参ると思いますので、その時はどうかよろしくお願い致します。
 皆様、これからもお元気でがんばりましょう。

「呼吸力」
  壱級 T.S

 初めてその言葉を聞いたとき、呼吸の力?肺活量?呼吸をしながら力を入れること?どんな力なのか良くわかりませんでした。入門書には「体の構造の理にかなった動きと意識(気)が一致することにより生み出される心身一致の力」、「意識しなくても普段の生活の中で発揮している自分の持っている自然の力」、「手刀、足、腰などの動きがひとつになって発揮される力」等説明されていますが、いまだ理解できていません。無意識に呼吸をするように、無意識ではあるが気持ちの入った小手先で無い体全身から出す力と考えればいいのでしょうか。呼吸法はその呼吸力を養成する鍛錬法とされています。確かに有段者の方と座り技呼吸法をすると力(呼吸力?)の差を感じてしまいます。まだまだ鍛錬が足りないようです。

ハ※ 表紙の写真は、高塚さんが、田辺へ所用で行ったときに、撮って下さったものです。ありがとうございます。

 「そこに立ち続ける勇気」
弐級 Y.A

 ファンか、といえば、正直なところ、そんなに熱烈なファンでもなかったのですが、先日、大リーグのイチロー選手のドキュメンタリーをテレビで見て、思わず考えさせられました。
 打率より、安打数にこだわることで知られるイチロー選手は、その理由についてこう語ったのです。
 「ヒットは打てば減らないじゃないですか。打率は打たなければ減る。だから、打率にこだわれば、打席に立ちたくない時が必ず出てくる。しかし、ヒットを打つためだと思えば、打席に立つ気持ちになる」
 イチロー選手は、どんなに苦手な投手を前にしても、怪我やスランプでいくら苦しんでいても、打席に立って、立ち向かい続ける勇気のことを言ったのだと思います。
 蛇に睨まれた蛙のような状態に陥ったとき、目をつぶってでもそこをなお攻めていく勇気を出せるかどうか。格好悪くても、ボロボロにやられても前へ。そこからしか何も生まれてこない。それは、合気道にも通じる心持ちではないでしょうか。
 ちなみに、イチロー選手によると、「こうやっておけば大丈夫というものが常に動いている。それがバッティング」。なんだそうです。深い言葉です。

 「神聖な場」 
五級 T.M

 池田師範をはじめ、諸先輩方のご指導のもと合氣道を始めて四年の歳月が流れました。年月だけは流れましたが、月に2回の「岡会堂」での稽古、それも、第一部だけしか参加していないこともあって、昇級審査を受けることは全く考えておりませんでした。「凛」とした空気が流れる神聖な道場という場に身を置き、ただ、ただ、相手と氣を合わせ、お互いを精神的、肉体的に高めていくことに集中する、それだけで満足しておりました。
 とはいうものの、昇級、昇段審査での、取りと受けが織り成す調和的な身体の動きを目の当たりにすると、果たして、現状に満足していて良いのか疑問に感じ始めておりました。その心の動きを察せられたのか、ikk池田師範から9月の初めに五級昇級審査の受審を勧めるメールをいただき、この度、受審させていただくことにしました。
 初めて受審した今回の昇級審査では,名前を呼ばれてから審査が終了し席に戻り正座するまで,明確な記憶がありません。無意識に身体が動くという境地に達しているはずがなく、あまりの緊張感に記憶が飛んでしまったというのが正直なところだと思います。ただ、徐々にですが、目線が後になってしまった、手の返しが弱かった、残心がきっちりととれなかった、など、反省すべき点が思い出されてきました。
 しかし、昇級審査を受けることを決めてからの緊張感は、何とも新鮮で心躍るものでした。今後も、ある種の緊張感をともなって皆さんと稽古に励む所存です。ご指導、よろしくお願いいたします。

 「審査を受けて」
     五級 M.H

 私が合気道と出会ってから、早くも一年が経ちました。昇級審査を受けてみようか、と思いながらも合格できる自信がなく、先延ばしにしていました。すると、ある日の稽古の際に「自分の今の実力を知るという意味で、審査を受けた方がいい」というお言葉をかけて頂き、五級の審査を受ける決意ができました。
 審査は今までも何度か見学してきましたが、いざ自分が受けるとなると、わからないことがたくさんありました。しかし、稽古時間中に限らず審査のアドバイスをして頂き、当日は緊張しながらも何とか自分の今の力を出し切れたと思います。
 私にとって、稽古中のお互いを高めあおうという雰囲気は、とてもいい刺激になっています。これからもご指導よろしくお願いいたします。

 「   」
五級 I.Y

 合気道を始めて早半年が経ち、この度五級審査を受けることとなりました。半年前にはまだ合気道というものの全体像が見えていませんでしたが、最近になって少しずつではありますが、何か見えてきたと感じています。
 普段の練習や強化練習期間、夏合宿を通して、合気道には「礼」と「和」を感じることが多いと気付きました。掃除や挨拶はもちろんのこと、今まではあまり考えていなかった普段の行動にも「礼儀」が必要であると知り、とても勉強になりました。また、合気道の技における、相手の力に抗うのではなく、調和し、逆に利用するという「和」の考えは、技だけでなく、よりよい、豊かな人間関係の形成にもつながるのではないかと感じました。もちろん、まだまだ初心者なので、合気道については分からないことも多々ありますが、日々努力を重ね、これからも一層精進していきたいという気持ちと共に、昇級審査では今自分が持っている力を十分に発揮したいと思います。

 「   」
五級 H.D

 僕は合気道を初めてから、以前よりも「自分の体がどう動いているのか」ということに意識が向くようになりました。自分の体が今どうなっていているのか、どう動けばより効果的に技がかけられるのか、ということを考えて稽古に臨んでいます。今は稽古の時にしか意識できていませんが、これからはこれを日常生活でもできるようにし、常に自分の体の動きを把握できるようにしていきたいです。
 合気道をやっていて僕が思うのは、合気道では、稽古中は相手との呼吸を合わせなくてはいけないし、稽古をやっていない時でも、常に礼儀を忘れないようにするのが大事であるということです。特に、礼儀作法は、他の武道と比べても大事にされていて、合気道は、相手との平和な関係を重んずる武道であるのだと僕は思っています。
これから合気道をやって、技だけを覚えるのではなく、こういった合気道に通ずる精神も養っていきたいです。

 「   」
五級 M.K

 私は大学入学時に合気道部に入り、それから早くも半年経ちます。
合気道を始める以前は、合気道に対して胡散臭さを感じていました。というのも合気道の演武を見ていても、飽くまで演技としてしか見えなかったからです。ただ、実際に合気道を始めてみると、そのような印象は簡単に消えてしまいました。また、合気道はあまり体力を使わないと思ってもいましたが、適度に体力を使うもので、なるほど老若男女、幅広い世代に受けいれられるのも理解できました。
 大学の授業の都合上、週に一回しか参加できない稽古を毎週参加することで、少しずつですが上達していきました。また、合気道の精神的な面、特に相手を尊重することや、礼儀作法を重んじる点も徐々にですが理解してきました。
 今後も学校の都合で頻繁に稽古に参加することはできないだろうけれども、毎週継続して稽古に参加し、精進したいと思います。

 

 「和氣會の稽古」
池田 憲夫
 
 和氣會では、稽古前に、十分すぎるほどの、体操をしています。これには、技のエッセンスが入っているからです。禊ぎや体操を見て、その人の習熟度が判断できます。準備体操を軽んじてる人は、技の習熟度も低いです。わざわざ審査を行わなくても、判断できます。審査だけが審査ではありません。稽古時間にいつの他の人よりも早く来て稽古に臨もうとする人々は、そうでない人に比べて、習熟も速いです。姿勢が違います。これは、合氣道だけに当てはまることではなくて、普段の生活一般に言えることと思います。私どもは、合氣道の稽古に来ていますし、柔軟体操、受け身などに、わざわざ時間を割くと言うことは出来るだけ少なくしたいのですが、まずは怪我をなくす、事故をなくす為、また、最近の子供のひ弱さを考慮すると、どうしても準備体操が必要となってきます。願わくば、ご家庭でその辺を補っていただけたらいいのですが、この忙しいご時世でありますので、仕方ないものと思います。勝敗のない、合氣道で、ひっこみじあんでは、世間に通用しないと思います。昔から謂われていますように、「技にはその人の人となりが出る、」が真実なら、「技で人となりを変える。」も可能となります。道場は、自分の体力、精神力、姿勢を鍛えるところと認めるなら、進んで積極的に、自分が苦手なこと、嫌なことを、頭ではなくて、体で表現してみよう(体現)という気持ちが大切になってきます。しんどいときほど、楽しんでみようという気持ちになると(難しいですが)、意外と乗り越えられます。

 「ご挨拶」
                    四段 K.Y
 今年の鏡開き昇段で四段を頂きました。有り難うございます。
 自己紹介を兼ねましてご挨拶をさせて頂きます。
 私は大学1年の時に合気道を始めました。今から35年前です。大学に入ったら心と身体を鍛えるために武道をやろうと決めていました。1年生の最初の頃はうまく受身が取れず、腰をしたたか打って、毎回の稽古の時、最後にやる呼吸投げ30回が恐怖でした。土曜日の稽古にはOBとして池田師範が来られていました。池田先輩のような入り身投げができるようになりたいと、稽古を続けました。そして、大学卒業間際に弐段を頂きました。
 就職は、当時天王寺に道場がありましたので、そこに近い会社に入りました。大学を卒業してからも6年間は、結構稽古しました。土曜日は大学の稽古に行き、会社へ出勤の前に、朝稽古を週に2~3回するということもありました。そして、28歳のとき、参段を頂きました。
 それから、いろいろな事があり、合気道から離れることになりました。それでも合気道の魅力からは逃れられず、断続的に稽古していました。今、服部の武道館のひびきの前のマンションに住んでいますが、そこを購入したのが13年前です。マンション購入に当たっては、半年間いろいろ捜しましたが、結局ここになったのも、心の中の疼きがあったのかもしれません。
 そして、2006年7月から会社の合気道同好会で週一回 (1時間) の稽古をするようになりました。少ない稽古時間ではありますが、やっと継続して稽古するようになりました。会社の同好会で2年半稽古してきましたが、やはり我流ではだめだと思います。何事も師について、ちゃんと学ばないとそれ以上の成長はないと実感します。
 昨年暮れに池田師範から昇段のお話を頂き、私のような者に声をかけてくださり、勿体なく、有り難く受けさせて頂きました。 合気道の技は人格が出ると思います。
私は昔は、「暴れん坊将軍」と呼ばれましたが、今はそんな体力はありません。楽しく稽古させて頂きたいと思います。そして、少しおこがましいですが、いつか生命の輝きを外に出せる技ができますように、それを目指して稽古させて頂きます。
 どうぞご指導の程、宜しくお願い申し上げます。有り難うございました。

 「正座を通して考えたこと」
             初段 S.S
 武道としての合氣道はいろんな意味で他とは異なるようです。 例を挙げるとすれば・・・・。合氣道は武道であり、武芸や武術などとは全く違うこと。それは他を支配するというよりも、自己を制御する道であること。心は身体の全体を制御し、氣と能力(power)を表出する。決して野蛮な力(force)や筋肉の力(strength)ではないのです。静と動の動きにおいて落ち着いた精神と弾力のある体を維持し、発達させるためのものなのです。また競争ではなく、協力の精神で行うこと。筋肉の力によりもたらされる単なる速さや、力ではなく、知性と技術を鍛えること。合氣道の動きは日本の剣の独特な手法が取り入れられていること。年齢とともに衰えることなく成長することが求められること。他にもたくさんの合氣道独特なものがあります。
 特にとても重要で、独特な日本の慣習に因るものがあります。それは他の武道の伝統から部分的に取り入れられたもので、静と動の技術を表すものです。それはすなわち、正座と座り技です。私は合氣道の座技において表される静と動を継続することの重要性を感じます。
 「正座について」
 合氣道の稽古はいつも正座で始まり、正座で終わります。これはなぜでしょうか。
 その理由として、正座は謙虚さの姿勢であるということが挙げられます。私たちの足は下半身のほとんどを占め、足の長い者は足の短い者に比べて有利です。ですが人間の背骨の長さというのは概して同じくらいであり、座ったときは比較的に個人による高低の差はつきにくいものです。これは心に平静な雰囲気を創出します。また、私たちは子どもの頃そうであったように重心が低いことにも気付くでしょう。
 正座をして、私たちは手をまるで剣のように持ち上げます。この手は過去と現在の指導者たちに向けた尊敬と感謝の気持ちの象徴です。そして合掌、つまり手を合わせます。手を合わすということは二つのものが一つになることであり、それはすなわち陰陽を表します。そして背骨を通じて世界と一つになり、丹田には平静のムドラー(訳者註:ヨガなどで主に用いられる手のジェスチャー。精神的な意味の象徴、体内エネルギーの封印などの意味がある。手印。)を感じて静止します。
 私たちは常日頃エネルギーを、頭や腕などの上半身を中心に据えて生活しています。正座の姿勢はそれを逆にします。そのため重心を低くすることにより、バランスを元に戻すのに大変有効です。文字通り私たちを地に戻してくれるのです。
 体が地に根ざし、背骨が中心にあり、頭がつるされるようにまっすぐあり、肩の力を抜き、肘を落とし、呼吸を深くし、心を落ち着かせる。
 正座で私たちの心は申し分のない状態となり、精神と身体の釣り合いが取れるのです。
 「膝行と座り技について」
 正座は相対的な静の状態から膝行や座技を経て動の状態へと適用されます。正座から跪座、それから膝行や座技に移ることにより全ての足の関節とそれを囲む腱と筋肉は柔軟に、弾力を持つようになります。腰の関節は特に開きやすく出来ています。背骨の垂直な軸の周りを骨盤が自由に動くようになり、合氣道で用いられる遠心と求心の力を発達させます。
 膝は私たちの体の主たるバネです。また立技での足の梃子は膝行や座技を通してとても強く、弾力のあるものになります。膝行や座技は、立技で用いられるための潜在的なエネルギーを鍛えるためのものでもあるのです。
 丹田は主に氣の器であり、氣はそこから直接に大地に根ざし、また背骨を通して上昇し、螺旋状に腕を通り抜け、指から表出されます。
 全ては正座から始まるのです。正座により心は平静を得て、風のない日の底のない透明な湖のように落ち着くことが出来ます。そこでは全てのものがありのままに反映します。体は地に根ざし、背骨が骨盤の上でバランスを取ることを可能にします。まるで杖が大地にまっすぐ立つように、です。そうして背骨は世界から氣を取り込み、器である丹田へ送る導管のような役割を果たします。この基礎があって私たちは苦労なく動き、振る舞い、また意思のままに自由に円や螺旋の動きが出来るのです。しっかりと座り、静止しよう。それから、動き出すのです。
 「壱級審査にあたって」
    一級 H.H
 合氣道部に入ってから、早いもので2年が過ぎようとしています。入部当初から目線が下がりがちであること、姿勢が悪いことを幾度となく注意されてきました。その後、あまり注意されることのない期間がしばらく続き、最近、その反動がきたかのように指摘回数が急増しています。ありがたいと思う一方、注意されていなかった頃に自分で直さなければならなかったと反省しています。
 姿勢以外にも同じように、昔から指摘され、まだ直っていないポイントは沢山あります。当初からの指摘なだけあり、全て基本的なことです。なのに未だに出来ていない、と落ち込むこともありますが、それはそれ。
 今回一級を受けさせて頂くこととなり、自由技の項目が増え、それに対応するために四苦八苦してきましたが、あせって滅茶苦茶にならないように、基本を大切にして審査に臨みたいと思います。

 「免許」
 一級 T.S
  先日七か月がかりでやっと普通自動車の運転免許を取得した。W先輩や同期のIに先駆けて教習所に入ったはずが、気づけばあっという間に一番の劣等生となっていた。自分の怠慢に因るところが大きいのだがいやはや長い時間がかかってしまったとしみじみ感じている。その「長い積み重ね」の結果をもって先日所 用で一時帰省した際父と妹を乗せてスーパーまで私が運転したのだが、父はどこかにぶつけないかとひやひやしながら助手席に座り、妹は後ろでドアの持ち手を握りしめていたらしい。
 試験には一度も落ちることなく免許を取得したというのに全く失敬な話だと憤慨もしたが、よくよく考えてみると自分はまだ初心運転者なのだということに気がついた。当たり前だが。何が引っ掛かったのかというと、教習所では技術が十分に成熟したとして免許を得たが、一般の道路に出てみればまだ未熟な初心者 だということだ。
 この矛盾のようなそうでないような…自分にとっては奇妙な話は合気道にも通じるところがあるのではないかとふと思った。審査を受け五級、四級…と技量に応じた「免許」を取得していくが、その免許を取得してもそれは終わりではなく更にその上を目指して稽古を積んでいかなければならない。上達に限界がない 。あるとすれば合気道では道主もしくは翁先生、運転ではF1レーサーと言ったところか。
 今自分はその果てしない道を歩んでいる。今自分はいったいその道のどこにいるのだろうか。一級とは道の上のどの地点なのだろうか。その答えは出ない。出ないからこそ進んでいくしかないのだろう。ただ「運転免許を取る」より進んだ所に位置できていればと願うばかりだ。

 


  平成21年5月

 

  「封建ということ」 
池田 憲夫
 最近、「封建」という言葉を聞かなくなりました。私が、子供の頃(中学生・高校生の頃まで)は、当時の大人への批判の言葉の一つとして、使われていました。「封建主義」とか「封建的な」とか。
 いつから人々の頭の中になくなったのか、時代が穏やかで、平和になったから、民主主義が広まったからか、分かりませんが、、、。
 稽古事における、上下関係、師弟制度などが、軽んじられ、大事なものがだんだんとなくなってきたように感じられます。学校では、教師と生徒・学生がなかよし・お友達関係となり、それがまた推奨されている現在、若干憂えております。和氣會でも、その兆候が見受けられます。子供達は、それが当たり前と思っていますが、年上には、年上に対する礼儀、先輩には先輩に対する礼儀、同輩には同輩に対する礼儀、指導者には指導者に対する礼儀、お客様にはお客様に対する礼儀を段々と厳しくしていく所存です。たとえ、それが封建的を言われようが、、、。
 どうぞ御理解下さいますよう、お願いします。和氣會は、学校ではないことを。

 「昇段審査にあたって」
初段 T.S
  今回春合宿の打ち上げの際に昇段審査のお話を頂きました。本当に寝耳に水の話で驚くばかりでした。
 初段。黒帯。袴。どれも自分が入部した時から憧れていたものであり、とても遠い存在だと感じていました。それが知らず知らずのうちに身近に迫ってきており、そしてついには自分がその初段を受けるという立場になってきたことは今でもにわかには信じられません。自分が合氣道を始めたのが、五級の審査を受 けたことがつい昨日のことのように感じられます。
このように初段をとても感慨深く考えてしまいますが、よく言われるように初段は「初めの段」です。終わりではありません。また新しい入り口に立ったにすぎません。初段審査というのはこれまで稽古してきたことを見直し、できることを出す、いや、ぶつける場なのではないかと思います。そのことを考えると 何故かとても明るい気持ちになってくる気がします。
 これまでの審査では実現できなかった「全てをぶつける」ということをこの大一番で成し遂げる。そんな心構えで臨みたいと思います。
 

 「初段審査を前に」
初段 H.H
 春合宿の終わり、懇親会の場での宮?先輩のご発言。「来週の日曜日、和氣會にて昇段審査を受けさせて頂けることになりました。」
 その時、私はただただ嬉しかった。とにかく嬉しかった。周りの方々が私たちのことを色々と考えてくださっている、ということを強く感じ、とてもありがたかった。
 この一週間はかなりバタバタしてしまった。全ては私のミスのせいである。振り返って考えてみると、仮にも成人した人間がそんなミスを、みっともない…っというのが感想だ。お陰で審査延期のお達しをいただき、ものすごく落ち込んだ。落ち込んだなりに、いつだかのオリンピックのマラソンで、観客に体当たりされるも走り続け、三位でゴールした選手の顔を思い浮かべ、立ち止まるなと自分に言い聞かせつつ過ごした一週間だった。こんな気持ちで迎える審査は初めてである。
 あと二週間で新入生が学校にやって来る。合氣道でも、その他の事でもしっかりせねばならない。頑張ろう。

 「五級の審査を受けて 」  
  五級 S.A
 私は以前、小学1年生から5年生の初めまで友達と一緒に和氣會で合気道を習っていました。約3年半振りに、昨年の12月末からお稽古を再開しました。
 再開して初めてのお稽古は岡会堂で、とても緊張しました。小学1年生の初めてのお稽古も岡会堂で、恥ずかしくてなかなか前に出て挨拶ができなかったことを思い出しました。今回はちゃんと挨拶をしようと思いましたが、やっぱり恥ずかしかったです。久しぶりの合気体操はあまり覚えていなかったし、得意だった膝行はすっかり忘れてしまって、今でも感覚が戻りません。それでも、みなさんに丁寧に教えていただいたので、楽しくお稽古できました。でも、疲れてしまったので一部のお稽古だけで帰ってしまいました。
 火曜日の夜のお稽古では、剣のお稽古もあり、小さかったときとは違った内容だったので、わくわくしました。毎週、上手な人に教えていただくことが楽しいです。
 初めは五級の審査を受けるまで一年かかると言われていましたが、3月に受けることができて嬉しかったです。審査の技を、皆さんに教えていただき自信を持ったけれど、審査日はとても不安でした。嬉しいことに、私の審査が終わったあと二部で初段の審査を見学させていただきました。足はしびれて痛かったけれど、初めて段の審査を見たので、すごい、と思いました。私も早く初段の審査を受けられるように頑張りたいです。

 「はじめてのしんさ」
         子供の部 準九級 K.S

こんど、はじめてのしんさをうけます。
一月くらいにちひろちゃんやみうちゃんに
「三月のしんさうける?」
と聞いて、ちひろちゃんたちは、
「う~ん。」
と言ったけれど、一人でうけるのはどきどきするので、
もういちど、つぎの週、聞いてみると
「うん。」
と言ったので、いっしょにうけることにしました。
がんばりたいと思います。

 「   」
 子供の部 準九級 K.C
 しけんどうだったかな。始めての、しけんだったからキンチョウしました。ドキドキ!だったので、止まってしました。これ、どうやるの?や、あれ、どうやったらできるの?が、続いてしまってあー、あのやつすごいななどなど続いて、もうこの、動き直さないとなーと、思いました。

 「   」
 子供の部 準九級 K.M
 今日はドキドキしました。ちゃんとできたか、心ぱいです。ごうかくしたいです。

 
 ※ スティーブさんの、論文を原語のまま、コピーしました。英語の勉強にどうぞ。


  平成20年12月


「演武会」
 池田 憲夫
 今年も残すところ後わずかとなりました。今年もいろいろと貴重な経験を致しました。合気会の鏡開き昇段にて、皆様のお陰で、昇段を致しました。それも、代表で道主 植芝守央 先生から、直に認定証を頂戴するという栄誉に浴しました。
 十月には、第十回合氣道国際大会での行事の一環としての「奉納演武大会」で、師範演武、並びに道場団体演武に参加出場するという、またとない機会を得、見事(?)大役を果たしました。私どものように、全日本合氣道演武大会に何度か出場しているものには、ある程度の経験があるのですが、全く他人様の前で演武を初めてする人々にはいかがだったのでしょうか。上がることはなかったのでしょうか。端で見ていたら意外とあっけらかんとした感じでしたが、、、。団体演武で、私は、捨て身技をしましたが、どうも足が滑ったように取られることもなきにしもあらずでした。左右とも行えば、解って貰えたと反省しています。それにしても、翁先生ゆかりの聖地で演武が出来る幸せを感じてきました。道主 植芝守央 先生の演武時間には、篝火が最高潮で、幽玄な、雰囲気の中、雄大で、厳かで、力強い演武に、見学者一同感嘆、固唾を呑んで、瞬きをしないぐらいの心持ちで拝見いたしました。
 十一月には、大阪府下の合氣道交流演武大会が行われました。こちらは、開催場所が地元ということもあって、出場下さった方々が多く、賑やかに、楽しく演武をして下さいました。演武相手は、私が決めましたが、技は、二人が相談して、決めてくださいました。いやはやびっくりしました。大人はいざ知らず、小学校の低学年の人々、入会してまもなくの人々もその人なりにその時に出来る最高の技を決めて披露して下さいました。ありがたいことです。私は、体調不十分につき、剣と杖を演武しました。演武前、私は、奉納演武大会よりも緊張している自分に気付きました。どうも奉納演武大会は、緊張を通り越していたみたいです。精神状態は説明できませんが、、、。
 出来るだけ、皆様にはいろいろな経験をしていただきたく思っています。行事を前もってお知らせいたしますので、どうぞお気軽に積極的に御参加を! お待ちしています。

 

 楽しい一年でした。

 「らせんの力」
 四級 Y.A

 どの本で読んだのか、すぐに思い出せないのがつらいのですが、「生物は、直線ではなく、らせん状に進化する」と語った有名な科学者がいたそうです。いつも最初の技として教わる呼吸法の解説を聞きながら、よくこの言葉を思い出します。
 過去とよく似た道をたどりながら、決して過去と同じではない。ネジのような「らせん力」をもってして初めて、何かを突き破って後戻りしない進化や成長を成し遂げられるのかもしれません。
 同じ事を繰り返しているようでいながら、決して前と同じでない何かを見つけること。理屈ではなく、体でそれを覚えなければ話にならない合気道の稽古の場があることは、私にとって幸せなことです。
 とはいえ、合気道に限らず、日々の暮らしのなかでは、何度も同じ失敗を繰り返し、アリ地獄から抜け出せないような気持ちに陥ることがしばしばです。マイナスに捕らわれ、焦り始めたときこそ、「らせん、らせん・・・」。わずかずつでも前へ進む「らせんの力」を信じ、次を目指してやっていきたいと思います。

 「    」
 四級 K.M
 
 年々、1年が速く過ぎている気がします。
気がつけば、息子と一緒に豊中和氣会に入会して、はや5年目となりま した。入会当初は、当時幼稚園児の娘が入会するまで、息子も私も続ける事ができているのだろうか・・・と思っていました。
今、娘も一緒に入会し、親子3人稽古を続けることが出来ていることを嬉しく思っています。
 稽古中のピンッと張った空気が好きで、背筋が伸びる感じが好きです。体力は衰え、記憶力は低下し、身体は思うよう に動かず、稽古が終われば疲れ果てていますが、それでも楽しいのです。その中で、皆さんから「元気」を分けていただいているような気がします。 
 この今を大切にし、日々、頑張って行きたいと思っています。    

 「   」
子供の部 準六級 K.T
 ぼくは、このしん査は、すっごくひさしぶりです。
前までは、ずっとしん査をしないで、ずっとふつうのけいこをしていました。
 でも、今回は、今まで練習してきた技を出し切って、
本気でやりたいです。
 あと、合格もしたいです。 

「しっぱいしたしょうだん(まま)しけん」
 子供の部 九級 K.K 
 ぼくはしけんで九きゅうを、受けました。うける前れんしゅうしました。だけどしけんで、わらってしまいました。でもほかは、よく?できたと、思います。でもすごくむずかしかったです。次は、八きゅうのてすとを、しっぱいせずにやりたいです。うかってるかは、わかりません。

 


  平成20年9月


 「合氣道」
                   池田 憲夫
 先日、知り合いの剣道七段の先生とお話をする機会がありました。その先生は、小野派一刀流の達人でもあられます。「ほっとする禅語」という愛読書から、「一鉢千家飯歩々是道場」という禅語を伺いました。なんとなく意味が解るような解らないような。早速調べてみました。

 

 一椀の自鉢を持ち、ただ一人諸方を托鉢行脚して食を乞い一人歩く修行者としての境涯をいうが、一軒一軒周りながら小さな恵みを受けながら、おかげを受けながら生かされていることの有り難さを味わう。
日本においては網代笠(あじろがさ)を深くかぶるのが普通であるが、それには、三輪清浄(さんりんしょうじょう)の精神が生かされているのだ。三輪清浄とは「施す人」と「施される人」
と「施しされる物」、その三者には互いに何の執着も利害関係を持たない清浄な関係と云う意味である。だから行乞にでるとき修行者は深く網代笠かぶり、顔を隠して施す人と施しを受ける人が顔を見合わせることを防いできたことである。見合わせなければ、誰からもらったとか、誰にやったとかいう利害関係は生じない、純粋な施しがなされるからである。布施は恵み施す行為であり、相手を思いやる心であり、無償の行為で、見返り
や何かの功徳を求める気持ちがあってはならない。自ら施しの行を通して、施しの喜びを味わい、また執着、物欲からの解放されていく大事な仏行である。
この「歩々是道場」(趙州録)の語は、もとは維摩経の中の維摩居士の言葉からきています。
 あるとき、一人の修行者(光厳童子)が、喧騒の城下の街中を出て、閑静な修行に適した場所を求めようとしていた時、向こうから城下に入ろうとする維摩居士に出会ったのです。
 そこで光厳童子は「どちらから来られましたか?」と訊ねましたところ「私は今、道場から来たんだよ」と言う維摩の答えです。
 「えっ、道場ですって?それは何処にあるんですか?」と光厳が問いかけた時、維摩が答えた言葉が「直心是道場(じきしんこれどうじょう)」でした。
「直心」とは素直なと言うように、真っ直ぐで正しく、我見、我執のない無雑な心のことです。 
 便ち、直心であれば、何処にいても、そこがそのまま道場なんだよと言う言葉です。
 本山大徳寺のご開山さまの大燈国師は「座禅せば四条五条の
橋の上 ゆ往き来の人を深山木(みやまき)に見て」と歌っておられます。開山さまは、修行によりお悟りを開かれましたが、しかし、さらに京の五条の橋の下で乞食の仲間に入り、悟後の修行をなされたと言う話しは有名です。今もそうですが、四条も五条も京都の繁華街、車も人も沢山の行き来があります。その街中の橋の上で座禅しても、もう境地においてはそこが深山幽谷だと言われたのです。
 このように修行は決して深山幽谷などの静閑清浄の場所だけとは限らないというのです。街中の雑路であれ、満員電車の中であっても、心が純一、無雑の直心であれば、道場ならざる
ところなしなのです。
 歩々是れ道場であり、何時でも、何処でも、何をしていようと、随処において主体性を失わず、随処に主となっておれる境地を築いていきたいものです。

 と知りました。過日、九州の菅沼師範のサイトを拝見すると、驚いたことにこの言葉を色紙として、お弟子さんにお示しになっておられました。ますます心に銘じて合氣道の稽古に励む事と致します。

 

 「次の機会は逃さず、早いうちに審査を受けよう」
 参段 戸倉 光明
 縁というものは、偶然なのか必然なのかと考えますと、何かしら必然のような気がします。今までの自分の歩いてきた途で、出会った方々や立ち入った土地は、この大宇宙の中の一つの地球という天体の表面の中の、ユーラシア大陸の東の端にある列島にある。その日本という列島の本州という島の中での、そこかしこの土地です。この土地に生かされたのが、偶然か必然か・・・。                       日本の本州の2008年の5月はどういう気候であったか忘れましたが、5月21日はまだ大阪市西区にある花王(株)に勤めていました。その日は近くの日生病院に精密検診に行った帰り道のこと、西区立売堀2丁目の大阪府警第一機動隊基地の横を通りました。その側にサムハラ神社がありました。翁先生(植芝盛平翁)が新婚時代に大阪の高津新地の付近に住まわれておられたそうです。翁先生は、アメノムラクモサムハラ竜王大神(リュウオウオオカミ)が守護神と云われて、サムハラ様を崇められておられたそうです。そのサムハラ様の神社が自分の前に突然現れてみえたような出来事でした。そのまま、正式にお参りをしました。社務所に行きお守りをいただきました。昨年は、50年ぶりに伊勢神宮に参拝しましたが、その時には猿田彦の神とサムハラ竜王大神と、天照大神の御名や大本教という名前を思い浮かべました。普段はこういう御名前を口にしませんが、その時は自分が、これらの御名前と出会ったと云う事で祖母と生長の家と共に、翁先生や合氣道という一つの繋がりの道に立たせられていると感じました。この事はその日(5月21日)に、池田師範にメールをして打ち明け話をしました。池田師範からも「(何かの偶然か)以前のお勤め先がこのサムハラ神社のお向かい辺りで有った」と聞きました。後付けの理由のようですが、偶然であっても、何か必然の縁という印象を抱きました。
 自分が、合氣道に関わったのは、大学一年(1966年)の夏休み後であったと思います。中学では生物クラブと陸上部、高校では硬式野球部に入っていました。大学でも、何かをしようと思っていました。野球部から誘いがありました。また大学の体育教授から、ボート部(そう艇)を作らないかとも大学推薦の話もありました。入学後の初夏にドイツで、日本の商社員が殺害された事件が印象的でして、日本人としては何か腕に覚えが必要という気持ちになりました。友人の山脇氏(大阪外大 合気道部5代)と「何でもいい、武道をしよう」と、物色しました。174cmで58kgの軽量・細身でしたから柔道は不利で、力も無いので無理。剣道は、道具に金がかかりすぎるので、無理。空手の練習を見に行きました。見ると肩車をした下の部員の腹をケリと正拳でなぐっている。「あのような痛い・苦しそうなのは止め」。消去法で、残りは合氣道となりました。見ると、ヒラヒラと舞うような転がるようなことでありました。「やれそう」と入部したのが、意外や意外でした。そのあとは、各位がご存知の通り、痛い、膝や脚・足、肘が擦りむけるし、キズだらけでした。見かけで、だまされた?けれど、やめようと思ったことがあったけれど、何とかかんとか、続いて来て今日になっています。よく、続いているとじぶんながら、偉いなと思うこともあります。さぼったこともありました。そんな自分が、まだ合氣道を続けているのが、不思議な感じがすることがありあます。そのときその時の周りの方々からの寛大で奥深い慈悲の手助けによって、続けさせてもらえたのです。結果としては、1967年の四月に、小林裕和師範の下で、植芝盛平翁先生から初段を允可していただきました。その後は、大阪外国語大学体育会合氣道部(OB会)和氣會の会長として関わらせていただきました。その後、池田憲夫師範の下で、38年ぶりに平成17年3月に二段の審査を受ける事ができました。そして、今年2008年9月に参段の審査を受けることができ、植芝守央道主から允可していただきました。これは、豊中和氣會の皆様をはじめ、大阪外大合氣道部和氣會、大阪大学外国語学部合氣道部の皆様には、ご支援と御指導・御鞭撻のお蔭であります。感謝いたしております。今回の審査をうけるに当たって、62の歳を迎える能力では、新しい技を覚えることが、悪く遅くなります。覚えの悪い門下生です。その時は、「審査はつくづく若い内に早くうけることが良いな」と痛感しました。老婆心ながら、申し上げます。ぜひとも、早いうちに上級を目ざして挑戦してください。そして、技と共に、合氣道の教えの中味を、しっかり勉強してみてください。一つでも上を目ざして、目標は大きくもってみたいものです。技と共に大切なことは、次のことだと考えます。偉そうなことを書き、自分も出来てないような事です。それは、以下のようなことだと思います。 
 自分を愛し、そして自分の家族を愛し、周りの人を愛しましょう。合氣道は、愛の武道です。平和の武道です。人は、それぞれの立場・役割がついています。それぞれの立場で働ける場合ならば、その役割をすることが「はたらく」ということになります。 “はたらく”ということは、「傍(はた)を楽にする」という意味です。傍のひと、つまり自分たちの側にいるひとを楽にさせる事をお互いが行うと、あなたも誰かに楽にさせていただけます。こうして、お互いに生かされているのだと思います。
 此のたびは、皆様に支えられて昇段をさせていただきました。合氣道を通してご縁が広がりました。有り難いことと感謝いたしております。今後とも、ご指導・ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。 有り難うございました。 2008年10月吉日 

 「   」
 五級 H.Y
 ぼくが、合気道を習うようになったきっかけは、お母さんに「合気道をやったてみたら」とすすめられたからでした。
 最初は、なかなかついて行くことができませんでしたが、今では、楽しいものとなりました。
 五級の試験を受ける前に、火曜日の夜に特訓をしました。池田師範ありがとうございました。試験の時、その時のことをすこし忘れそうになりましたが、何とか思い出して出来ました。試験が受かってとてうれしかったです。これからも合気道をがんばります、

 「今」
弐級 H.H
 「今」に集中するというのはとても難しいです。少なくとも私にとってはそうで、過去三回の審査を振り返るときにまず考えるのがこの点です。まず、自分の行った技に不満があるとそれが気になって仕方なくなります。これではいけない、と「今」に集中しようとするのですが、ここで脳内イメージと実際の行動との時差が気になり始めます。過去でも未来でもなく今・現在に集中したいと思っているのに、それがいつのことなのか見失ってしまう感覚です。こんなことを考えるあたりが運動神経の悪さを象徴しているのでしょうが、イメージトレーニングで何とか対応できればと思います。

 「弐級審査にあたって」
弐級 T,S
 先日、開祖ゆかり地熊野にて多くの先生方の演武を拝見した。またその後帰阪してから、動画サイトyou tubeで道主先生の演武を食い入るように見ていた。力強く、華麗で、丸い。そんな人を惹きつける魅力を持つ演武だった。
 以前自分自身の演武の様子を動画で見せて頂いたことがあるが、やはり何かが違う。当たり前のことだが、同じようにはとてもできない。それはこれまでに積んできた稽古の絶対量の違いであるので、仕方ないと言えば仕方ないだろう。
 では、具体的に一体なにが違うのだろうか。全身の安定感、残心、目線、迫力・・・要素はいくらでも出てくる。合氣道に出会ってからまだ一年半しか経っていない私にとって演武で見た先生方は雲の上の存在のようだ。
 そんなまだまだ拙い私でも、人前で演武をすることがある。宣伝のため学内で演武をするときなどは、合氣道を知らない人にとって、私が合氣道とは何なのかを身体で表現しなければならない。つまり合氣道の代表となるわけである。そのような場で演武をすることは多少の重圧を感じもするが、半面私の大好きな舞台の一つでもある。(もちろん演武会での演武も好きだが。)「気で相手を飛ばすやつ」などの誤解をよく耳にする中で、(拙くとも一応は)本物の合氣道を人に伝えられる場というのはとても貴重であるからだ。そこで人を惹きつけられるのであればこの上ない喜びとなるだろう。
 人を惹きつけられるような演武ができるようになるまでには、まだ膨大な時間がかかる。ただ今回の審査での演武が、以前より少しでも“魅力”をましていることを望む。

 「合気道部」
 弐級 T,S
 大阪大学外国語学部合気道部に入部して、早くも五ヶ月が過ぎようとしています。合気道にも慣れてきて、どうすればうまくなれるかを考えるのがとても楽しくなってきました。
 僕は、小学校と中学校の頃に地元の泉州道場で合気道の稽古をしていました。しかし当時は親に言われるがまま参加していたので自分の頭で考えて積極的に稽古に取り組んではいませんでした。そのため、素晴らしい師範のもとでの恵まれた環境であったにもかかわらず、稽古も休みがちになってしまっていました。
 でも、今回
は、自分の意志で合気道をやろうと決めました。積極的に稽古に取り組むことで、あの頃には気付かなかった合気道の魅力を、池田師範や先輩方のあたたかいご指導を通じて発見することができていると思います。これからも、目標を持って頑張っていこうと思います。

      


  平成20年6月


 「合氣道」
                       池田 憲夫
 合氣道は、意外といい加減な(アバウト)ところがあります。その曖昧さ、いい加減さ、フレキシブルなところ、が私は好きです。
 合氣道に何を求めて、稽古を続けるのか。ある人は、強さ。それも、肉体的、あるいは、精神的、その両方。ある人は、健康。ある人は、美容。ある人は、行儀作法、礼儀。ある人は人間関係。様々です。
 合氣道で、何かを学ぶわけですが、合氣道の技から逃げることなく技を追求しながら、それを通して生き方などを学びたいと思っています。合氣道でもその他の芸事でも同じでしょうが、技に表現されたものには、その人となりが出るとよく言われます。それなら、逆もまた真なりでしょうか、性格を、人となりを変えようと思ったら、合氣道であれば、技の表現を変えることによって人格も変えられるかも知れません。おとなしい、どちらかというと消極的な人は、技を元気良いようにするなら普段の生活も積極的になると信じています。自分から積極的に稽古相手をお願いし、積極的に稽古をする。すると心まで元気になるように思います。雑な性格、荒々しい性格の人は、技を丁寧にすることにより、性格も穏やかなものになるはずです。素直でない性格の人は、技を教わったとおりのものをしようとすれば、それだけ技に素直さが出てきて変わってきます。ちまちました人は、おおらかな技をするようにすればいいと思います。合氣道で生き方、人生をより良きものに換えるなら、合氣道を稽古した値打ちがあると思います。
 それと、合氣道を稽古する際、社会人は社会人なりに、学生は学生なりに、子供は子供なりに、男性は男性なりに、女性は女性なりに、合氣道を稽古したいものです。明日の仕事に支障のでるような稽古は控えた方が良いかもしれません。でも、その所を乗り越えないといつまでもレベルアップは難しいです。学生は若いのだから、疲労回復は直ぐに出来ますので、がむしゃらに稽古する時期が必要です。私は、その時機を体験しましたので、いまからは、体に調子を聞きながら、楽しみながら、ボチボチと生涯合氣道を継続していきます。
 
 「初段」
                   初段  M.Y
 これまで2年合氣道を続けてきて、ついに初段の審査を受ける時期になりました。自分では信じられない気持ちです。袴を目標にしてはきたけれども、自分からは遠い世界の話だと思い込んでいました。(池田師範から袴をお借りしてはかせていただいてはいましたが、やはり不思議な心持でした。)大学に入学し、合氣道を始めて2年。私は何を得、何を失い、何を感じ何を学んできたのでしょうか。
 入部当初、合氣道は自分に厳しくする道だと思いました。それはどの先輩も必死で稽古を積んでおられたし、指導も真剣で自分の知らなかった武道という世界に始めて触れたショックというものがあったせいかもしれません。少しして、合氣道は人に優しくする道だと思いまいした。思えば厳しい稽古の中にいつもお互いを思いやる心がありました。時には激しく声を上げながら。時には厳しく叱りながら。もう少しして、合氣道は融和の道だと思いました。愛と和合の精神の合氣道は人と仲良くなるためのものだと思いました。実際に私は合氣道を通じてたくさんのかけがえの無い方々に出会えました。
そして、今。現在はもう少し違う道だと感じています。今はそれをはっきり文字にすることができません。合氣道の形は、私の中でここ2年間ずっと変わり続けています。今はまだどんな道か見えませんが、これまでの2年間を礎にこれから自分にとって合氣道がどんな道であるか、捜してゆこうと思います。初めの段です。これからまた新しく合氣道ができます。改めて頑張ってゆこうと思います。

 

 「自己分析」
                   参級  H.H
 私にとって演武と演奏は似ていると思います。特に演武中、演奏中の心の動きや感覚的なところはそっくりです。ひたすら反省と修正を繰り返し、つい先程のことをうじうじ考えそうになるのを必死でこらえる、という感じです。こうしてみると、自分は物事のとらえ方が小さいのだろうと思います。もっと大きなまとまりで物事を考えられたら、表現できたらと思います

 

 「三級審査にあたって」
                  参級  T.S
 今回の審査は、前回と違い自分自身の中で色々な変化を経た上での審査だと感じている。
 まず一つに、一年間稽古を続けてきて徐々に合気道の楽しさというものが分かってきたということである。これまではただ先輩のやっていることをひたすらまね、その姿を追うことしかできなかった。自分のやっていることの何が良くて、何が悪いのかが分からず、上級者の指導を仰ぐしかそれを知る方法を知らなかった。だが一年の間でたくさんの指導を頂き、演武を見てきて、ようやく自分で考えて研究することができるようになったと思う。そのおかげで日々の稽古がより一層意義深く、内容の濃いものになってきたと感じている。もちろん稽古が楽にこなせるようになったわけでもなければ、自分の合氣道が完全にわかったわけでもない。しかし、現在楽しく稽古できていることは間違いない。
 もう一つには、この春から先輩になったということが挙げられる。先に書いたように、私は一年間ずっと先輩の姿を追い続けてきた。たった一年の差だが、その姿を追われる先輩に自分がなったと思うと、とても身の引き締まる思いがする。それと同時に、この後輩と共にお互いに高めあえるように稽古に励んでいきたいと思う。
 このほかにも、いろいろな変化が自分に起こってくるだろうが、それを一つ一つ力に変えて励んでいこうと思う。

 

 「合氣道について」
                   五級  R.S
 私が合気道に興味をもつようになったきっかけは、元会社同僚の体の「姿勢」です。彼はまるで背中に板が張られているように、長い会議でも腰から首はいつもまっすぐにのびています。その彼とは対照的にコンピュータの仕事をしている私は座りっぱなしの時間が多いせいか、ついつい背もたれにもたれて腰が曲がってしまいます。彼から合気道のことを知り、3年前に彼が退職したとき「合気会」ホームページの書いてあるメモを渡されました。ホームページにたどって、昨年9月池田師範に入会の承認をいただき豊中和気会で念願の合気道をはじめることができました。私が合気道に惹かれたもうひとつの理由は合気道が「和」の武道であるからです。自分の体と心を鍛える良い機会だと考えております。
 次男のS(8才)と一緒に習い始めて9ヶ月が経ちました。合気道の良さを実感でき合気道に対する情熱が増しています。しかし心の情熱があってもやっぱり身体は年齢に正直です。最近やっと合気体操を覚えて毎朝出勤前にするようになりました。けれども稽古で教えてもらった技はなかなか覚えられなくて、たまに誠治に聞いたり教えてもらったりしています。何よりもこれからはまず音を立てないで「前方回転受け身」ができるようになるのが第一目標で、その次は苦手な「後方回転受け身」を克服することです。
どうか皆さんご指導の程よろしくお願いします。

 「56歳のスタート」
                 五級   S.Y
 私が、合気道の言葉を始めて知りましたのは昔昔の、高校生の頃だったように思います。
 九州、長崎の地方では、物の本で目にすることが精一杯でした。
 その後、数年前まで商船に従事。
 最近手にしましたpc、クリツク、クリツクしておりますと、池田師範先生の和氣会が~
オー、何時かの興奮再びです。.家内(ちなみに神戸在住長女32、孫4。二女28、長男24)
外出の折、心臓パクパクしながらお電話しました・・・
、、56歳やし絶対むり、、
ところがです、「次の土曜日に練習がありますが、、、」
と快いご返事、ありがとうございます。
 道場の静寂の中、池田師範の声がひびきます、、、緊張。
 節目、節目の‘礼‘深深と礼をいただき、あわてて頭を下げ直すことしばしばです。
 孫、じっじ、あいきどうってなんなん。
 家内、その老体を、、、皆さんに感謝しないとね。
            池田師範
            皆様
       今後共どうぞ宜しくご指導お願い致します。

 

 「私と合氣道」
          子供の部 九級(特進)   M.M
 私が合氣道をやり始めて2年がたとうとしています。
私が合氣道を始めるきっかけになったのは、武道をやりたいと思ったからです。
 初めは空手をしたいと思ったのですが、父に合氣道を教えられてインターネットを見てみました。「指導者」のところを見てみると、すごくむずかしそうな技をしていたので、それにあこがれました。体験をしてみてやっぱりやってみたいと思いました。
 そして入門してみてから、いろいろな人の試験をみてきましたがいつか私も受けるんだなと思っていました。
 今度やっと私も受けることになりました。私にとって、これは最初の試験ですが、いつか私も初段をとれるようにがんばり
たいと思っています。

 
「合氣道について」
        子供の部 十級        R.S
 あいきどうのしけんは、はじめてできんちょうしました。
ベルトがとれたらいいなとおもいます。
あいきどうは、やるとたのしいです。
まちがえたというかなにかゆわれたからびっくりしました。
しかも一番さいしょだったからです。

       


  平成20年3月


「昇段のあたふた顛末記」
池田 憲夫
 年も押し詰まった十二月二十六日(水)だったと思います。クリスマスも関係ない生活をしておりまして、長女がたまたま遊びに来ていました。午後八時三十分は、過ぎていたと思います。一本の電話がかかってきました。長女が出たのですが、なんか腑に落ちないようで、「合氣道の栗林さん」と言っているけど、と電話を変わりました。一瞬、こちらには何の用もないし、なにかしでかした記憶もないし、気持ちの整理もつかないままに電話口に出ました。「合気会の栗林です。実は、本日の鏡開き昇段推挙会議にて、池田さんの昇段が内定しました。なお、当日、 代表者として、道主 植芝守央 先生から認定証をお受け取り戴くようにお願いしたいのですが、よろしいでしょうか。鏡開き昇段式にご出席戴けますか。」「それは、喜んでお受けいたします。出席を致します。支部長会議と賀詞交歓会も欠席と通知しましたが、全て出席に変更をお願いします。」「解りました。道主 植芝守央 先生から認定証を御受けられたら、その後、植芝家の神前にてお参りをお願いします。その際、玉串料をお願いします。」「解りました。」と答えました。自分から昇段を推薦出来ないし、また、推薦してくれる師範は、いないし。六段の時は、道主 植芝守央 先生(当時道場長)の推薦で昇段いたしました。道場長が、どれだけ素晴らしい人かも、どれだけ偉い人かも存じ上げないまま、大阪外国語大学合氣道部創部三十周年記念式典にお越し願い、研鑚会を催しました。その私が、それまで全然東京本部に行ったことのない私を、六段の代表者に選んでいただき、なにがなんか解らないままに、道主 植芝吉祥丸 先生から、直に認定証を戴きました。年齢なのか、キャリアなのか、その基準は私どもには不明ですが、晴天の霹靂でした。そのことを思い出しました。そのことを今でも思い出しては、迂闊なことは出来ないと肝に銘じています。以前、色々な方々から「七段の昇段は、厳しくなった。自己推薦(合氣道的な貢献度があっても)時期尚早と言われた。とか、最低十二年はあくまでも最低であって、十二年過ぎたから昇段できるものではない。とか。団体が大きいから発言力が発揮されるとかは関係ない。とか。」須磨さんに言ったことがあります。「俺の六段の推薦者は、道主 植芝守央 先生だから、他の師範の先生に推挙はお願いできないし、お願いできる師範はおられない。道主 植芝守央 先生がもうそろそろと仰って下さるまで待つよ。」と。ですから、電話を頂戴したときには、表現が難しいぐらいの驚き、嬉しさ、と、疑問。(聞き違えたのではないか。)ビールは缶二本しか呑んでないし、聞き間違えることはないだろう。復唱していた言葉を聞いていた長女は、直ぐさま「お母さん、これは初めてで最後になるイベントだ。介護がてら一緒に行こう。」と独断で決断しました。家内は、渋々でしたが、了承。次女は、勤務の都合が、未定だからわからないけども出来るだけ行く方向で話を進める。後は、横浜にいる長男にメール。ラッキーな事に当日は、休み。嬉しがりの一家は、全員本部での鏡開き式に参加することに決定。私が言うのも変ですが、ビッグニュースを、戸倉さんを初め、和氣會の方々に連絡。当日は稽古日なので、森田さんに代理稽古をお願い。快諾を得、安心。それといつもお世話になっている、白神さん、木村さん、須磨さんにご報告。後は、交通の便の予約、宿舎の予約、在京の大阪外国語大学合氣道部卒業生の方にご報告。慌ただしく、正月を迎えました。でも、なんかまだまだ不安なので、正月が明けた、六日、栗林さんに確認の電話をしました。「昇段も代表も間違いがないか。」もし、代表でないなら、家族まで行くことはないので、その場合は、あちこちキャンセルしなければならないし。「掛け直しますので、少しお待ち下さい。」と言われ、心配になってきました。「池田さんは、七段昇段です。代表でお願いします。」と聞き、安堵。
 十二日は、支部長会議、賀詞交歓会に参加。私は、福島県出身ですが、以前兄が新聞の切り抜きを送ってくれていました。福島の追分先生の記事でした。先生は、大病を克服され、元気に合氣道を復活されたそうです。そのようにお前も元気を出せと励ましてくれた兄。チャンスなので、席上先生を捜し、やっとお目にかかれました。普通の人と違わないくらいに体調が戻ったそうです。私もあやかって回復に努めます。
 十三日は、朝食もそこそこに、本部へ向かいました。道場前では、本部の師範、指導員、有志の方々が、餅つきをしていました。私は、それを横目で見ながら、十一時から順番を取るためにあの寒い中、震えながら待 っておりました。すると、櫻井さんから連絡を受けた櫻井規子さんが、小春ちゃんを連れてわざわざ陣中見舞い(懐中懐炉をもって)に来てくれました。地獄に仏の感じでした。助かりました。藤巻さんが、「池田さん、例年一番乗りの方がおられるのですが、今年は無理ですね。きっと残念がりますよ。」と話してくれました。家内と娘達は昼食を摂りに近くの飲食店に行ったので、息子と二人で震えておりました。一番に道場に入り、この席を確保するように息子に言い段取りを決めました。段々と並ぶ人が増えてきました。そこへ、一番乗り先生がお見えになりました。藤巻君が紹介してくれました。この声は、そうです、全日本合氣道演武大会で、聞き慣れた声でした。尾崎しょう先生でした。(しょうは、日偏に向うですが、パソコンにはない文字ですので失礼します。)名刺交換をして、少しお話をさせていただきました。寒いし、並ぶ人がかなりになりましたので、担当の方のご厚意で、少し早く入館出来ました。息子は意味が分からずてきぱきと動けなく、三階の道場へ着いたときには、既にベストポジションは、尾崎先生に確保されておりました。悔しか ったです。仕方なく、少しでも良い席と思いましたが、思うように家族は動いてくれず一人いらいらでした。その結果が、アップした動画です。なんなために寒い中、一番乗りをして二時間も待っていたのか、苦労は報われませんでした。でも、その尾崎先生が、道主 植芝守央 先生から直々に頂戴した證を頂く場面を綺麗にそれは見事なまでに綺麗な写真をお送り下さいました。ありがとうございました。また先生とは、田辺でもお会いし、私の事を覚えていて下さいました。災い転じて福となすでしょうか。却って良い出会いが出来ました。面白いものですね。
  さて、いよいよ授与式です。なんとか正座は持ちこたえましたが、膝行で道主 植芝守央 先生の前に進み出ることは叶いません。正面まで躙り寄り、頂きましたが、戻るときには躙り寄ることも出来ず、失礼な事になりそうでしたが、何とか体面を保てました。
 直会が開始、道主 植芝守央 先生が中座され、本部道場横の植芝家の神前に伺い、道主 植芝守央 先生がおられる前で、翁先生と吉祥丸先生の神前に、玉串料をお納めいたしました。不案内でしたが、七段以上は、そのようなしきたりになっているそうです。
 最近、判ったことですが、この件は、全く道主 植芝守央 先生の独断と一存での決定と。本当にありがたいことでした。

 

 「逃げ道」
弐級  M.Y
 最近自分の中で大事にしている言葉があります。隠してもすぐにわかると思うので記しますが三年B組金八先生というドラマで主役の中学校の先生が言ったセリフです。
 「(人生において)道はいくらでもある。だが逃げ出したら道は一つしかない。逃げ道という道だ」という言葉です。
 逃げずに闘え、とテレビに教えられた私は、それ以後、だからといって何もかわらず日々を暮らしています。自分は逃げているものなどない、と思いつつも、この言葉が頭から離れません。もしかしたら自分が何かから逃げているということを無意識に自覚しているからなのでしょうか。だとしたら、私が自分の知らないうちに逃げているものは何でしょうか。
 こんな無為な考えが頭をよぎっては消え、よぎっては消えしています。思考は自由です。明日も私は無為な思考を繰り返すのでしょう。

「 」
四級  I.M
合氣道部に入ってもうすぐ一年です。入部してから夏になるまでも自分自身の中で変化したことがあったのですが、十月に学校が始まって今に至るまでの方が大きな変化があったように感じます。まずは、十一月から稽古中にどんな技をしたかという日記をつけるようになりました。日記をつけることで技の復習ができるのはもちろんですが、自分がその日を精一杯頑張った証も残せているような気がします。日記帳がたくさんの技の名前で埋まっていくのが楽しいです。
 次に、いろいろな団体と合同稽古をしたことです。普段とは違った環境で稽古をするのは刺激になりました。また、合同稽古を通じて多くの人と出会いました。合氣道で結ばれたこの出会いをこれからも大事にしていきたいです。
  あと数ヶ月で二回生になります。宮?先輩のように後輩の素晴らしいお手本のような先輩になることが私の目標です。

 「当面の目標」
四級  H.H
 日常生活においてほとんど体を動かすことのなかった私ですが、合気道を始めてからは、特にあまり柔軟性のなさに危機感をいだき、暇を見つけては体を動かすようになりました。おかげさまで少しずつではありますが体が柔らかくなり、今では柔軟体操が私の小さな楽しみにまで昇格してきました。
 とはいえ体の柔軟性と動きの柔らかさとは関係があるのかないのかは疑問です。動きのぎこちなさ、固さの解消が私の当面の目標ですが、実際どうすればいいのかよく分かりません。とりあえず、できるところから色々試してみて、柔らかい動きを常に、諦めずに目指していきたいです。

 「四級審査にあたって」
四級  T.S
 早いものでもう2008年の2月。私が合気道を始めてからもうすぐ1年が経とうとしている。
 合気道をたった1年足らず稽古してきたところで、ただ日々の稽古でその奥深さを思わされるだけで、それに関して何がどうだというような偉そうなことは言えない。
 また奥が深いというとこは分かっていても、動き・技自体はまだまだ稚拙だ。何せ私は運動神経が悪い。基礎体力もなければ、注意されたことをすぐ実行できるような要領の良さもない。自分自身本当に成長の遅い困った後輩だと思う。しかしこんな私を幹部さんをはじめとする先輩方 、OB・OG の方々に根気よく指導して頂き、そのおかげで今やっと四級の審査を受けさせていただくことができる。
 四級というのは、これからも続く合気道人生の中でのほんの通過点なのだろう。しかし通過点だからと言ってないがしろにする気は毛頭ない。むしろ通過点だからこそ、その区切りを通してこれまでお世話になった方々への感謝やこれからの自分の合気道をというものを考えていくべきなのだと思う。
 今回四級の審査、演武こそ短くても、そのような深い意味合いを持ったものにしたい。

 


  平成20年3月

 

 

「姿勢」
池田 憲夫
 時々、思うことがあります。姿勢とは?単に、目に見える、姿、体勢だけで良いのであろうか。態勢も必要ではないか。合氣道の稽古だけに当てはまることではなくて、学生は勉学にも、バイトにも、社会人は、仕事にも通じることではないか。
 皆さんは、合氣道では、私のお客様です。でも、私は、立場上指導をしたしております。これが、稽古事の難しいところです。お客様には少しは遠慮をすべきかも知れませんが、出来るだけ言いたいことを言っています。少しでも、早く、技を覚えてもらいたい、上手になってもらいたい、強くなってもらいたい。の現れと思っていただけたら幸いです。
 以下は、苦言?お願いです。
 出来るだけ、早く稽古場に来て、掃除や準備をして欲しい。後からのそっと来て、掃除もしないで帰って行く。いつまでも月謝を払っているからのお客様。でも、稽古場は、自分を鍛える(体も精神も)神聖な場所と理解できたら、自発的に行動が異なってくるものと思います。そうなると、合氣道に対する姿勢も向上してくるものと信じています。それと、同じで、稽古中は、他の人の技をじっと見る。特に掛かり稽古の時に。技がなかなか覚えられない人は、特に注意が必要です。待っている時間を遊びの時間と思っている人は、後で大変です。審査の時は、自分が受けないから、休むのではなくて、初心者だから見ても仕方ない、という考えでなくて、初心者には見取り稽古は、難しいですが、段々と慣れてきます。また、自分の時に応援をしてくれる人が少なかったら寂しいです。お互い様です。それも判って欲しいです。審査する方は、見取り稽古のつもりでおります。取りの人が誰を受けにお願いするかも楽しみです。それで、取りの、どの程度かも判断できます。審査は、取りだけでなく、受けも見られています。受けの審査でもあります。
 今回、O.Cさんが、特進をしました。彼は、皆さんが御覧になっても分かるように、物事に対する姿勢が目を見張るものがあります。一例が、まず他の人よりも早く稽古場に来て掃除、準備などをいたしております。また、自分から積極的に稽古相手を見つけて一心不乱に稽古に励んでいます。大学生途中から和氣會の入会し、大阪外国語大学合氣道部の合宿にも参加して、上級生にも関わらず、一回生の仕事をこなし、不平不満も言わず。頭が下がります。普段の心構えも考慮しての特進です。見習いたいものです。

 「無条件の愛情」
参段  太田 吉彦
  ここ数年は自分にとって大きな変化の年だった。理学療法士に転職し病院に就職、そして結婚。今は、4人の子持ちである。毎日わいわいとやかましくも賑やかな中で過ごしている。特に自分以外のことを考える必要のなかった独身時代とは大きな違いである。いやがおうなく子育てに追われていく中、「ああ、自分もこんな風に親に育てられてきたんだ」と痛感させられている。
 私の上の娘二人は私と血が繋がっていない。結婚して立て続けに息子と娘が産まれ、一気に4人家族になった。今は下の子の面倒を上の娘たちがよくみてくれているように思う。
まだ幼い下の子たちは、手の焼ける時期だが、無条件にかわいい。変なところが自分に似ていて面白いなと感じたり、だんだんと成長していく様をみてたくましいと感じたりしている。もちろ上の娘たちがかわいくないわけではない。だが下のこたちが無条件にかわいいと思えば思うほど、上の娘たちに対しては「意識しないと親になれない」という意識の隔たりを感じている。無くなった前の旦那さんに対して顔向けができるように、二人を育て上げなければならないという義務感からくるものなのかわからないが、二人に対しては厳しく言うことが多い。これじゃいかんなと思うこともしばしばで、自分が冷たい人間なのかなと悩んで嫁に相談したところ、「まあ、そんなもんじゃない?」とあっさり言われてしまった。
 下の子の子育てを通じて子に対する親の接し方を学んでいると、上の二人にももっと幼い頃に出会ってこんあ接し方ができていたらなあと思う。子は親の愛情を受けて育つものだと思う。私の意識の中ではこの大事な時期が欠けて、一気に大きくなってしまった感があるのだ。さてこの欠けた部分をどうやって補えばよいのだろう。この子達二人にどうやって無条件の愛情を示してあげればよいのだろう。言葉もまだ拙い幼いこと同じようにはいかなか、などと悩んでいた。
 まあ散々悩んだ挙句、「お前の親父はこんなに頑張っているぞってところを見せてやればいいかあ」というところに落ち着いた。これから色んな事をするようになって、色んな困難にぶち当たって、必死に頑張らなければいけなくなるだろうその時に、少しでも手本となれるように。参段の審査を通じてそれが少しでも見せられただろうか。
守るべき家族ができてからの方が、自分が強くなったように感じる。困難にぶちあたっても動じない強い心が欲しいと思いながら稽古に励んでいる。
  子育てを通じて、「子に親にさせてもらっている」今日この頃である。

 「パスポート」
初段 Y.T
 以前、「あゆみ」に投稿させていただいた折り、「夢はいつか初段を取って袴をはくこと」と書いたことがあった。今般、その初段の審査を受けさせていただくことになった。普段の稽古での稚拙な技の数々を思い起こすと、不安でいっぱいだ。55才で初めて合氣道に出会って5年間、今日まで細々と続けてきた。稽古を重ねて、難しい技が少しずつ分かってくるのは本当に楽しい。しかし何より先輩の皆様、若い学生の皆さん、そして子供達ー合氣道を通してのいろんな人との出会いーこれが実に楽しいのだ。今回の審査も、池田師範をはじめ、多くの皆様から、思い切り背中を押していただいた。この機会を、「技の修得だけでなく、合氣道をさらに深く知るための、”通行手形(パスポート)”といただく場」ととらえて、精一杯がんばってみるつもりだ。

 「心を落ちつかせること」
壱級  M.Y
 私は散歩をすることが好きだ。天気の良い日の夕刻、日の暮れる前に家を出て、日が少しずつ沈んでゆくなか歩き、暗くなって家に戻る。そして必ず、目的地は決めない。定期的に行っているわけではないが、ふと気が向いたら、外を歩いている。
  目的はやはり気晴らしで、何かに悩むと何となく外に出たくなる。何も考えず、放浪し思いに駆られる。ただ人というのは不思議なもので、何も考えぬように歩いていてもただ歩くだけで頭の中を整理させ、そして何かを捻出する。散歩にはそんな功用もある。
 散歩をするといつもよりゆっくりのペースで歩くので、いつもの街並みがいつもと違って細かく見えてくる。おまけに自分の心まで見えてくる。つくづく不思議なものだと思う。
 これから春を迎える。たくさん悩んで、たくさん散歩して、そうやって進もうと思う。

 「受けの難しさ」
弐級  T.S
 合気道を始めて4年が過ぎました。このたび2級の審査を受けさせていただきます。多くの技を教えていただき、昇級してきましたが、ひとつ不安なことがあります.「受け」がうまくいきません。有段者同士の演武を拝見すると、「取り」の技がすばらしいだけでなく、「受け」の受け方がその技をさらに引き立てているように見えます。投げられたときのスムーズな受身、技と技が流れるようにつながっていきます。固め技をかけられても、顔色を変えず平然とされています。それに引き換え、私の場合は投げられても畳にベターと倒れこみ、受身でくるっと立ち上がることができません。小手返しでは前ではなく後ろにしか受けられません。腰投げは恐怖ですし2教3教では顔をひん曲げて声を上げてしいます。「取り」として昇級しても,それに見合う「受け」ができなければならないと思います。黒帯まではまだまだ険しい道のりです。

 「瞬」
弐級  O.C
「瞬」と書いて、またたきと読む。
 武道では、一瞬、一瞬がとても大事である。勝負は、一瞬で決まってしまう。油断が生ずれば、命を奪われてしまう。
 稽古は別に命の奪い合いをしているわけではないが、それに近い状況である。気を抜くと、怪我をしてしまう。だから、精神を研ぎ澄まし、最高の自分を出せるよう奮起する。すると一瞬が普段の二、三倍長く感じられ、多くのことを感じ、考えられることができる。どうしたら、もっと技が効くかと頭にさまざまな考えがめぐる。私は、この充実した瞬間がとても嬉しく、これが武道の面白さの一つだと思う。
  日常も、同様に一瞬、一瞬が大事である。精神を研ぎ澄まし、自分の中のセンサーを敏感にしていれば、普段見えてないことが分かり、日常が普段とは、違ったように見えて楽しい。
 一回しかない人生なので、一瞬、一瞬を大切にし、仕事でも遊びでも研究でも、精神を研ぎ澄まし、多くのことを感じ、考え、最高の自分を出せるように頑張ろうと思う。時には、へとへとになることもあるだろうが、そういう時は、休みをとり、回復すれば、また頑張ろうと思う。これからもこうあり続けたいと思う。 

「   」
三級 K.Y
 僕は、今までいろんな級を受けてきました。その中でも、今回の3級の進級審査は今までで一番苦労しました。覚えなくてはいけない技が沢山あったからです。その技は、座り技正面打ち、一教から四教まで、横面打四方投げ、突きの入身投げ、正面打小手返し、突きの小手返し、両手取天地投げ、それと呼吸法などで、名前を覚えるだけでも大変でした。稽古の時に、森田さんに技を特訓してもらいましたが、なかなか覚えられなくて、何度も練習しました。中でも、特に難しかった技は、突きの入身投げでした。僕的には、突きの小手返しと間違えやすくてややこしかったので、審査の時は間違えないように注意してやって、なんとか上手く出来たと思いますが、頭が真っ白になってしまってよく覚えていません。呼吸法はちゃんとできたと思います。4級に比べたら、突きの小手返しと苦手な三教が入っていたので苦労しました。4月から高校に入ったら部活もあるけど、合気道も、2級、1級と頑張って、そして初段まで取りたいと思います。

「 」
子供の部 九級  M.S
 合気道を初めてもうすぐ一年になります。
 合気道の楽しいところは、大人の人をふだんは、たおせなくても合気道をしている間は、たおせるところです。
 難しいところは、ころがることでした。
 これから色々な技を覚えたいです。よろしくお願いします。

            
               


  平成20年1月


 「   」
                       池田 憲夫
 先日、久し振りに大阪外国語大学合氣道部卒業生の方々十名ほどで酒を酌み交わしました。お互いに齢を重ねました。その席上、テレビの放送で、車椅子の青年が合氣道をした番組が放映されたと聞きました。直ぐに貸しビデオを探しましたが見つかりませんでした。ストーリーは、不慮の交通事故に遭った青年が、ふとしたきっかけで合氣道と出会い、精神的に立ち直っていくという筋書きです。どなたかお持ちでないでしょうか。感動する場面と疑問に思う場面があったと言うこのなので、涙を流しながら、見たく思います。
 とこここまで認めて、 Yさんの原稿を写しました。「ぬ、ぬ?!」身体不十分な小生にご無体なことを!ようし、挑戦してみよう。俺も少しは腰投げを知っているとアピールしなければ。と次回久し振りに腰投げに挑戦しました。意外と不十分ながら出来るものです。まだまだ負けられません。プライドは保てたでしょうか。
 越前さんは、下関から北九州の道場に通っているし、富朗凜さんは、母国ルーマニアで、大勢の人が集まって、賑やかに稽古を指導しているし。こちらも、負けずに奮起しなければ、ね。
 私が、偏固なので、実力はあっても昇段審査昇級審査を受審しない人が多い中、三月にやっと太田さんが、参段昇段受審を致します。楽しみです。また、多分初段受審の人も出てくるはずです。お待ちしています。若い人に負けてはいられない。団塊世代の意地をお願いします。と簡単に言いますが、素晴らしいことですね。自分に振り返ってみると、同じ立場なら出来るかというと、最初から諦める方に回ると思います。尊敬いたします。受けの池田(自称ですが)の本領を一日でも早く発揮したく思います。
 「近況報告とお願い」
                           五段 越前 善次
 早いもので、山口県に引越ししてからまもなく半年になります。まず7月末に山口市に引越し、2ヶ月後の10月上旬に再び下関市に引越ししました。山口市への転勤直後は、慣れないことが多いうえに社命のゴルフ練習にいそしんでいたため、合氣道の稽古は全くできておりませんでしたが、下関に移りようやく細々ながら稽古させていただける道場を見つけることができました。大阪にいる時は稽古環境に恵まれていたということを感じております。私は今まで卒業・就職・転勤等で大阪を離れる方々に、どこでも合氣道の稽古はできると、稽古の継続をお願いしてきました。また学生の方々にも大学以外の他道場で稽古させてもらうことをお願いしてきました。今、自分自身が実践する立場となり、月に2・3回程度の稽古ですが、できるだけ稽古するようにしております。
 現在は菅沼師範門下の小倉祥平塾(小倉市南区)で稽古させていただいております。道場が変わっても同じ合氣道です。ただ今の道場では新参者ですので、初心者のつもりで学生や一般の方々と稽古をさせていただいております。指導者の先生、稽古仲間の方々には暖かく受け入れていただき、また指導いただいておい、感謝しております。
 また4月新年度が巡って来ますが、和氣會で稽古できる方は、その稽古環境に感謝し、稽古に励んで下さい。大阪を離れる方には、繰り返しになりますが、どこでも合氣道はできますので、合氣道の稽古を継続していただけますようお願いします。
 「☆ タイはおおらかな処 ☆」
                            弐段 戸倉 光明
2007年12月15日(土)から18日(火)の日程で、JTBの広告で見つけた二泊四日のタイ旅行に行くとことにしました。バンコク・アユタヤの旅です。現地での全食事7回を含めてニ・キュッ・パーのとても、値打ちなツアーでした。お値打ちなので、現地では観光バス4台の大型ツアーでした。ホテルはUp-gradeをしたので、我がオレンジ色バッジ組は38名で一台のバスで行動しました。
 タイは35年前の1972年頃まで、二年余り駐在していました。その後数回訪れています。しかし、駐在時代は仕事中心でしたし(昔気質の日本人の典型)その後の訪問では、現地の方々との旧交を温めることでいっぱいで、食事会ばかりでした。その為か、バンコク市内付近以外のタイ国の観光地や旧所名跡などは、ほとんど訪れたことがありませんでした。
 長女がタイから三時間のシンガポールに在住でして、ちょうど週末休暇をタイ・バンコクに来られることになりました。そのような訳で、親子でタイで落ち合うことになりました。
 タイの新国際空港は、アジアでは最大級の空港の一つです。気温は昼間は34度夜半は26度ぐらいでしょう。15日の関空の朝が10度くらいでした。二泊四日の間に、肩こりと腕の痛みが和らいで持参した湿布や薬は使いませんでした。
 長女とは、15日(土)の夜8時半頃にツアーがホテルに着いた時に、ホテルで出会いました。そこからが、タイらしいことでした。我々は、ツアーで部屋割りが完了していました。Room No.1614でした。チェックインして、キーカードの入った封筒を二通もらい家内と娘にンライ(never mind,気にするな)モとミスを犯した者から先にこう言うくらいの国民の性格です。結果は、マイペンライ(never mind) が功を奏し長に渡しました。小生は、ガイドと明日からの予定を話していて、後から部屋に行くことにしました。二通の封筒には、朝食クーポンが入っていたのですが、小生はそれを知りませんでフロントで朝食クーポンを「受け取ってないから」と別個に朝食クーポンをもらってしまいました。
 とにかく、おおらかなところですから、ちょっとしたことはメマイペてそのまま過ごすことにしなりました。日本であったら、こんな具合には行かなかったでしょう。
 ルームチャージは部屋代でいくらのグローバルスタンダード(世界標準)とは異なって、一人いくらの旅館方式をホテルが取り入れた日本式がまだあります。そんな、ことで親離れの出来にくい長女は夜だけでしたが、久しぶりに親の近くで過ごしました。翌日の夜には駐在時代の出向先のタイ人家族と会いました。彼の方達とは35年間の付き合いです。長女は先方に次女の結婚式に出席したこともあります。
 タイの国民は、優しい国民性です。戦闘的ではありません。国は一度も占領されたことはなく、王様が統治している立憲君主制民主主義的国家です。日本の天皇家とも親密です。また、戦後の日本からの賠償も、十年前くらいに「タイは、もう賠償は要りません。他のところに回してあげてください。」と、賠償を断りました。また、世界の国力でも借金額の多い日本よりも上位と言う見方もあります。
 このような、タイの四方山話ですが、先回の訪問は2005年の秋でしたから、おおよそ二年前になります。その時はバンコクから600KM北の都市チェンマイに、駐在時代の出向先の社会いに行きました。腹の中では「高齢だから・・・今生の別れのつもり」で、お会いしました。彼は、今は事業を手放し裕福ではないのに一日中付き合ってくれて接待をしてくれました。今回は、彼には会えないのですが、彼の好きな「red bean can(水羊羹)」を調達して、重いけど三ケースを今回会ったタイの次女に託しました。また、元気な内にまた行ってみます。
「    」
 五段 富朗凜
 帰国してから7ヶ月以上経ちました。皆さん、お元気ですか。ルーマニアに帰ってからすぐに合気道の道場を開きました。道場が学生寮の二階の部屋にあります。その下に食堂があって、受身の時にお尻を強くぶつけたり、手で畳をたたくと、食堂の天井から塗料が落ちたりするらしいです。
 夏休みの間は毎週二回してきましたが、十月から週三回、そして来週から月曜、火曜、木曜、土曜と週4回にしました。夏の間、40度ぐらい暑い日が多く、休みでしたし人数がだんだん少なくなりました。しかし、ルーマニアの学年が始まる十月になると、新しい人が少しずつ来ています。現在十五~十六人ほどいます。
 十一月に入ると、気温が5度ほどに落ちています。それでも窓を開けたままで稽古をして、稽古の形式も、豊中和氣會をできるだけ真似ています。しかし、技になると、池田師範のお技を真似ることがもちろんできません。マンツーマンの時も、和氣會の真似をしたいですが、越前さんの厳しさを真似ることができません。
 クラブの名前はまだ付いていません。漢字2~3字【会】または【道場】を考えています。認定手続きができるまでは、まだ数年間かかりますが、ご提案のある方がいらっしゃれば、ぜひ教えていただければと思います。
 それでは、皆様、お元気で。

 

「いろいろ」           
                弐段 安藤信雄
 中学高校は氣志団のようなヘアスタイルの「ツッパリ」に荒された時代で、北斗の拳の「ケンシロウ」並に強くならなければ生きていけなかった。それで喧嘩に強くなろうと合氣道を習い始めたのは、高校時代である。
 父の書棚に養神館の塩田館長の「合氣道の楽しみ方」という本があり、それを見て武道養正館に入門した。神と正を間違えたのだ。養正館の合氣道は戦前の合氣道に望月先生の工夫が加わった物で、今考えれば、おかげで大変貴重な物を習うことが出来たと思う。
 当時、地元で合氣道の合同演武会のような物が開かれ、合氣会の大学合気道部と養神館、私の属していた養正館が出場した。その時初めて他流の演武を見て、同じ合気道でも色々あるものだと知った。
 大学時代は「ツッパリ」がいなかったので、合氣道はサボってギターに熱中、その後会社に入ってから合気会の道場に入門、結婚による転居で休止して、和氣会へ入門、皆様にご指導いただき、ついに黒帯を頂いた。
 今回、弐段審査に挑戦したが、未だ入り口に立ったに過ぎないと思う。
 合氣道には試合がない。勝った負けたもない。最初は疑問に思ったが、今はそれで良いのだと思う。私は水泳もやるので試合の面白さも知っているが、やはり、相手と自己記録に勝つことが目標になってしまう。
 合氣道で強くなるのは、勝つことが最終目標ではない。
草薙の剣は人を斬る為のものではなく、穢れを祓う神剣なのだ。荒れた時代を喧嘩で生き残るよりも、争いのない和の世界を作る方が良い。スポーツの国際試合は時に暴動を生むが、合氣道は和を産むのだ。この精神を失い、試合での勝ち負けの技術論だけになったしまったら、きっと合氣道は真の価値を失ってしまうに違いない。
 偉そうに書いたが、実はこのあたり全く悟っておらず、
未だにケンシロウやラオウの様になりたいと思ったりしているのであるが、今後は少しづつ、翁先生のお言葉を勉強してみようと思う。

 「基本が大切!!」
 壱級 Y.T
 道主の合気道教本を見ていると、技の種類の多さに驚かされる。四方八方に投げ分ける四方投げ。心技体を一つにして投げを打つ。呼吸投げ。又、なかなかうまくいかないのだが、滑らかに動ければスカッと気持ちの良い回転投げ。そして未経験の腰投げ。合気落とし等々見るからに難しく痛そうな技が目白押しだ。是非とも体験したい。
と、ここまで書いてきたところで、どこからか池田師範の太い声が・・・「それより先に二教をきっちり覚えろ!!」と。
 アタタタ、スミマセン!!  まずは基本、基本でした。
 (注 池田)大先輩にそのような失礼なことはもうしません。誤解を受けそうですね。以前も申しましたが、「活仏」です。ご希望により、腰投げと合気落としもしてみます。小生も知っていることをご理解下さい。ただ、それほど高級な技ではないと思っています。が・・・。

 「審査 」
四級  Y.S
 今回、大人の部になってから初めての(注 池田 二回目と思うけど)審査です。稽古の時間も内容も厳しいものになって、ついていくのがやっとといった感じの自分にわざわざ稽古をつけて下さった師範に感謝したいと思います。スローではありますが、自分のペースで少しずつでも上達できればと思ってます。これからもよろしくお願い致します。